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昨日は映画版「カラオケ行こ!」をみた後にベトナム料理を食べて、それからほんとにカラオケに行き、解散は結局明け方になった。そういう朝にザーザー雨が降っていたり、薄暗い商店街を通って帰るのがなんとなくちぐはぐで、まどろみながらも映画じゃない現実の手触りがした。現実にこんなふうに親切にしてくれる友人たちがいるのだと思った。

友達と心ゆくまで遊んだ日の翌日は、前日のことを咀嚼したいのと、あとは単に体力面の問題で、できるだけ一人で過ごしたいが、今日はちょうどそういう日になった。目が覚めたら14時前で、15時に開く銭湯に行こうと決めたはいいものの、全身に疲労が残ってそのまましばらく動けず。先週見逃した大河を見ながらトーストを食い、ほとんど寝起きの格好のままどうにか家を出る。湿度が高いせいか随分暖かくマフラーもいらなかった。着いてみたら平日の夜の2倍くらい自転車が停まっていて、日曜の一番湯が盛況であることを知った。

夜には運動部らしい大学生もちらほらいるが今日は見かけず、揃いのサウナハットとサウナ着の二人連れのご婦人がいたりした。湯船に浸かって見上げると天窓から光が入ってそりゃ当然明るい。実家でも休日の昼に風呂場に入ると、そんなに掃除も行き届いてないその場所が、世界で一番清潔みたいだった。公衆浴場に安心して入れない人がいることを知って以来、自分がどうしてここで普通に裸でいていいのかわからないという思いもあり、しかしこうやって来てみると気持ちの良いことこの上なく、来たりやめたりを繰り返す。

急いで髪を乾かして図書館に向かい、本を返して本を借りた。会社の同僚らしい人を見かけたが、閉館間際だったこともあり私の身なりもひどかったから、声はかけなかった。出た後もまた別の知り合いを道の向こうに見かけた。家のある方から、自転車に乗らず歩いてきたから、これから誰かと一緒に歩いたりするのかなと思った。私がみていないところでも、知人たちは当たり前にここらをうろちょろして生活を営んでいる。そこに私が一切介入していないということが、うまく説明できないが、嬉しいと思った。

近所の定食屋で飯を食い、喫茶店を覗くと満員だったから別の喫茶店に行き、退店してもう一度戻ってみたら今度は席があった。コーヒーと紅茶をそれぞれ一杯ずつ飲んだので、今日うまく寝られるかわからない。読んだのは図書館で借りた『高慢と偏見』と『アンダイング』。前者は今日返した『自分一人の部屋』の関連で。オースティン20歳時点の作だというからビビる。Wikipediaをみると父が出版打診の申し込みをしたとあるので家族は協力的だったかもしれないが、好きな時間に執筆してそれだけに集中できるような環境ではなかったことだろう。もう今はいない女たちがどういう生活を送って、どういう喜びと苦労があって、今私の目の前にある痕跡を残したのか、もっと知りたい。後者は今の仕事に関する本が何か読みたいと思って当てずっぽうで借りたものだが、あーー、すごく、これは…。仕事で安易に提案したことを省みて不安になり凹みもし、帰りにカップヌードルmini買って安易な塩分と脂質に頼った。色々飛躍して、里山社の本ぜんぶ読もうと思った。会って話してみたい人ができた。このままでは会えない。がんばりたい。