1/24

いい子のピアーニは転んだときに、泣くでもわめくでもなく真っ先に、とれてしまったコートのボタンに気付いて、「ここにはお母さんの力は届かない」と思う。今、私がひとりで住んでいるこの部屋は、隅々まで母親の力が及んでいて、逃れるために引越しをする。だのに結局引越し先を決めてしまったのは母親だった。私が文句を言うたびに、祖母や母は「こんなに選ばせてあげているのに」と怒り嘆いて、どれだけ私が自由で身勝手で傲慢なのかを全力でわからせにかかるから、途端に面倒くさくなり、耳をふさいで両手を差し出す。妹はこういう時きちんと応戦するほうで、私はその場をしのげれば大抵すべてどっちでもいい。そのくせリッパな人間になりたいし、選ばれたい。

入学前に母親と選んだ家具やマットやカーテンは、勿体ないけど全部手放すつもり。朝が来ても光を通さない黄緑色のカーテンは、遮光にしなさいとあの人が言った。全面に敷かなければ寒いからとやたら広いラグを買ったせいで、半端に余った端っこは4年間ずっと折り曲げられたままだ。選ぶことにまだ慣れておらず、本当はどれを選びたいのか、気づくのにすごく時間がかかる。これまで選び取ってきたように見えているものも、実のところ天邪鬼が正体だったりする。他者の影響が及ばない選択などあるはずはなく、わかっていても一人きりで立ちたい。願ってやまない。

昨日はバイト先の知人と初めてサシでご飯を食べた。今年の春から社会人になる彼女は常に行動力のひとだけど、身振り手振り口ぶりに大袈裟なところのないのが好きだ。ポテトサラダに目を細め、たいそう軽やかにビールを飲み干す彼女を前に、私は言わなくてもいい明日の希望をいくつも話してしまっていた。入れ込む他人が増えることはちょっと怖いことだけど、こういう喜びを繋げることで続いていく。臆病をアイデンティティにするつもりはさらさらない。

今日は雨が降っていて、朝から調子があまりよくない。新しい調度類をどこで揃えようかぼんやり調べることしかしていない。昨日の楽しかったことを励みにするような仕組みを取り戻したいが、意識するとかえってよくないのかもしれない。という気がする。