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時々、思いがけない大きな悲しみに飲み込まれる。私たちが生き物である以上、生きているうちは仕方がない。大事な人はいつか死ぬだろうし、覚えていたくても忘れてしまう。ゴールテープの直前でけたたましく警笛が鳴り響いて、時間切れだから帰りなさいという。失くしてしまえば生きていけないはずの宝石を、無理やり取り上げられるようなこともある。

猫の恩返し』のなかに、ムタが猫の国のもてなしを受けて、シーラカンスでも飼えそうなくらい大きな金魚鉢一杯のマタタビゼリーに溺れるシーンがある。柔らかいゼリーの中で溺れるの、水よりずっと苦しそうだと思う。固体に近いからもがこうとする手足は大きな抵抗を受けるだろうし、目とかも開けづらそうだし。聴覚も視覚も体の自由も奪われて、段々何も分からなくなる。ムタは欲望にまみれた最期を遂げたことにされて、知らせを受けたハルちゃんは金魚鉢に駆けよって涙を流す。好きだった友人が死んだときの自分を思い返してみると、大好きな映画キャラクターの、滑稽で情けない死にざまがオーバーラップする。

暫く顔を合わせていない友人から送られてきたLINEを見たとき、それこそ突然ゼリーの海に突き落とされたみたいに息ができなくなった。どうにも意味が飲み込めなくて聞き返したりして、ただでさえ一番つらい役回りをさせたその子を、余計に困らせてしまったのだった。起き抜けで敷きっぱなしだった布団の中にとんぼ返りして、汚い声を上げて一時間くらい泣いた。混乱状態は続いていたけれど、今すぐ連絡すべき相手、取るべき手続きは分かっていた。母親に電話して、急遽帰省することと、喪服が必要になったことを早口で述べたてた。数日後に迫っていたフジファブリックのLIVEのチケットは、先輩を通じて他の人の手に渡った。ドタキャンした上にわざわざ我が家の近所に来させてしまって申し訳なかったけど、京都駅行のバスに乗る直前に親しい顔を見ることが出来て、正直すごくほっとした。一人でいるのが心細くて仕方がなかった。

新幹線の自由席車両の、右側窓際の席に座って、andymoriとかKEYTALKとか、教えてもらったバンドの曲を思い出せるだけ片っ端から聞いた。母親が駅まで迎えに来てくれたはずで、家には祖母も妹もいたはずだけど、彼女たちと何を話したかは全然思い出せなくて、記憶はいきなり翌朝に飛ぶ。早めに着いた待ち合わせ場所には既に数人の同級生がいた。皆すごく大人っぽくて驚いた。通夜にも葬式にも参列したけど、どちらもすごくいい天気だったと思う。

死んだその子とは卒業後のクラス会以来一度も会っていなかった。浪人中の彼女のLINEアカウントはいつの間にか消えていて、つくづくあいつらしいと思った。私は彼女に会えるまで、出来るだけ変わらずにいようと思った。中身だけじゃなくて、外見も、喋り方も、徹底的にそのままでいようと思った。次に会えた時に、流れた時間の長さを感じて、淋しがらせたくないと思った。今思えば余計なお世話だし、おためごかしめいているけど。大袈裟でも何でもなく、大学に入ってからの一年間は、彼女に再会するための一年間だった。会わない間に私の中で、あの子は神棚みたいなところに祭り上げられてしまった。祭り上げられたまま、あの子に会えなくなってしまった。学校からの帰り道でどんなことを話したか、駅ビルの喫茶店に寄り道した時は何のパスタを食べたんだったか、私は段々思い出せなくなってきている。

葬式帰り、その足で高校の図書館に向かって、司書の先生に会いに行った。先生はあの時紅茶を飲みながら、「半年はつづくよ」と言ったけど、すごく適切な診断だったと思う。前に進もうと腕を回してひとかきする度、悲しみがまだ去り切らないのを知った。彼女が死んだ数か月後に、私はもう一人大事な友人を失った。「伝えるべきことは伝えられるうちにきちんと伝えなくちゃ」とコミュニケーションを焦ってしまって、それが多分彼にとってはものすごい負担だった。彼が姿をくらましたとき、私は「またしくじった」と思った。

見えるものも聞こえることも、何となく精彩を欠く感じがした。為すべきことを成し遂げられなかった自分の言葉は、もはや全く信用ならなかった。楽しいことは数えきれないくらいあって、あの子やあいつと二度とこういう気持ちを共有できないのが悲しかった。明るい未来を思い描くたびに、変な罪悪感を覚えた。至極身勝手な話だ。単なる自分の怠慢の責任を、かれらに押し付けていたわけだ。「親しい友人を失くした人間はこうあるべき」みたいな思い込みも、十分機能していたと思う。当時の反吐が出るような感傷に、私は二度と戻りたくない。

今はもう、そんな感傷に動けなくなることはほとんどない。ありていに言ってしまえば、時間が解決したのだと思う。自力でゼリーの海を這い上がったわけではなく、ムタみたくゼリーを丸ごと平らげてしまったのとも少し違う。いつの間にか体に浸透して、馴染んで、到頭明確な形を失ったのだった。強いていうなら、しぶとさと忘れっぽさとで私の方が勝ったのだ。結局生き延びたという点では、ムタに並ぶ。図々しいだろうか。

悲しみの最中にいる時は、ここで終わってしまえばどんなにいいかと思うけど、悲しいくらいに健康体質だから、ちょっと悲しいくらいじゃ死にはしない。上に書いたようなあれこれも、今となっては単なる事実の羅列で、元気な時に実感つきで思い出すことは難しい。学習しようとしないから、何度も同じところで間違うのである。進歩がなくて嫌になる。しかし、大抵の場合時間が解決することを私は既に知っていて、それだけは忘れない。悲しみは脱するものでも、打ち倒すべき相手でもなくて、私から出て、私に帰ってくるものだ。もうわかりきっていることを、これから何度となく確認しなおす。毎回もがいて、忘れて、苦笑する。

時々夢に友人が出て来る。少し前まで怖かった。まるきり忘れてしまう前の、最後の挨拶みたいなもんかと思った。しかしどうやらそうではなくて、むしろ夢を見る度に、忘れていたことを段々思い出せているような気がする。起きてからすごくほっとするのだ。私の中で編みなおされたかれらは、実際とは少し違ってきているかもしれない。それは嫌だから、会いたいなあと思う。次はなるべく間違わないようにするし、間違ったら早めに、ごめんねって謝る。