四日連続でひとと寝食を共にする異例の一週間だった。人づきあいが多い方ではないという自覚があるが、年に一度か二度くらい、怒涛の様に予定が押し寄せる時期が訪れる。私の意思とは全く関係のないところで、すべての条件が揃っていくのだ。めくってもめくってもエースが出続けて、手持ちの札が増えていく感じ。嬉しさで体がどんどん膨張する。膨らみながら、ゲームには区切りがあることをきちんと知っている。昨日から今日にかけて、少しずつ空気を抜いている。
四日目のお昼に大学の友人からLINEが来ていて、夕方何某の家に来れないかということだった。どちらも久々に目にした名前だった。これが今回最後のカードだと思い、できるだけ気さくに了承の旨を返した。バイトを上がっていったんバスで帰宅し、ナプキンを取り換えて、ワンピースの下にジーパンを履いた。自分が過ごしやすいようにそうした身支度をしたに過ぎないが、何となく変なことをしているという気持ちが拭えない。変な気持ちのまま自転車で坂を落ちて行く。
およそ二年ぶりにその友人の家に上がりこみ、何やかや話しているうちに、自分が呼ばれた理由が段々わかってきて、つまりかれらが進めている計画のために、女の声が出せるやつが必要なのだった。私は女で、かれらにとって呼びだしやすい存在だったので、呼びだされたのだった。それならそうと初めから言ってくれればいいのに、と思った。何となく変な気持ちのまま、ビールでから揚げを飲みくだして、差し出された原稿を朗々と読み上げて帰った。
別になにか嫌なことを言われたわけでもなく、ましてや危害を加えられたわけでもなく、ただ安全に過ごしたのち家に帰ったのだったが、腹がたって仕方がなかった。その場で声を荒げたかったが、誰にもわかるはずがないと思って、というかそもそも私にもよくわからなかったので、黙っていた。例えばこれが「お前は絵がうまいから」という理由で呼びだされて、かれらのために何枚か絵を描いたのだったら、これほど引っかかることもなかったような気がする。絵を描く能力は後天的で、女の声は先天的で、どちらも当人のもちものであることには変わりないのに。結局、「別物扱いされたみたいで嫌だった」としか説明できない。あの場所で私だけが一人で、対岸にいるかれらの話を盗み聞きしているみたいだった。私の発した言葉は対岸まで届かないか、届いてもかれらの言葉と交じり合わず、中空に浮かぶばかりなのだった。そう感じた。
私はかれらと同じものになりたかった。かれらが面白がるものも、面白がる様子も好ましかったはずだった。服装や言葉遣いで浮かないよう念入りに気を配った。そのくせ同じものになれないことも知っていたので、時々「こちら側」から言葉を発したり、さっきまでの私と矛盾するような振る舞いをして、かれらの気を引こうとした。その最たるものが去年の今頃の告白で、かれらとの関係性に居心地悪さを感じるのは紛れもなく自分のせいなのだった。後悔はないが、やりようはもっと他にあったと思う。今からでもと思わないではないが、今すぐどうにかしたいとは思えない。というかそもそも、居心地が悪くなってきたから打開するためにああした行動に出たのでもあった。結果、互いに気づかないようにしていた隔たりを明示することになって、そうなるともう駄目だった。
「かれら」のなかの一人ひとりとの関係性なら、今からでも変えようがあると信じるが、「かれら」と私との関係となると難しい予感がしている。私があの場にいたひとたちを「かれら」とひとまとめに認識している時点で。私にはうまく、無理なく群れに同化できている自負があったが、その群れから距離を置いて、私らしい振る舞いのあり様が変わってしまった。今の私にとっての「私らしさ」は、かれらに同化することとは全然別の場所にある。その間かれらもかれらで関係性を深めたらしく、私不在の思い出について交わされる会話をぼうっと聞いた。誰かが誰かに誰かの彼女の知り合いの誰かを紹介していて、誰かは誰かの以前の彼女について面白おかしく喋っていた。全部私には関係ない、と思った。私は内心、折角の楽しい四日間の締めくくりなのにと歯噛みしていたが、それはかれらに関係のないことだった。
普通に友達でいることが何でこんなに難しいんだろう。自分の性別で何も決めつけられたくないし、かといって自分の性別を蔑ろにしたくもない。やり過ごせない程のことでもないが、だけど私は私のために、親愛なる友人たちのために、女性であることを損だと思いたくないし、居心地悪さを押し殺したくない。ということを、友人であるかれらにもわかっていてほしい。これは傲慢なのだろうか。それとも、かれらにとって”そこまでの”友人にはなりきれていないのだろうか。言えば伝わるんだろうか。伝わらないのが怖くて言えない。何か変何か変何か変何か変!
などと一昨日の夜からグズグズ考え続けているけど、かれら不在でも私の人生は進むことがこの四日間だけみてもわかるし、一年かけてはっきりわかってきたことなので、うずくまらないで少しずつ空気を抜く。いつかきちんと話せるときが来ればいいと思うし、それまでに私は私の言葉を成熟させなければならない。