卵以外のたんぱく質をことごとく切らしており、どうしても肉が食べたいから外食することにした。店で食べるとどうしてもお金がかかる。けちくさくて出不精なので「今から買ってきてつくるのが面倒だから」以外の動機がないと一人で外に出られず、それで自然とカレーばかり食べにいくことになる。近所のカレー屋を制覇するという目標にかこつけて、何とかかんとか家を出る。
人が多ければ次の機会にと思ったがそうでもなかった。初めて行った店なので何を頼めばいいやら、辛さの加減もわからないから、比較的辛くなさそうだったココナツベースのチキンカレーを頼む。これがわりかし辛かった。他の客はみんな二人連れで、控えめに談笑しながらゆったりした様子でカレーを口に運んでいる。私はごぼごぼと溺れるように水を飲みつつ食べ進め、ものの10分で平らげてしまった。らっきょうと玉ねぎのピクルスが美味しかった(クミンシードがかかっているのもよかった)のと、居心地のいい雰囲気だったのとで、多分また行くと思う。「本当においしいチャイ」というのがおいしそうだった。
帰りにスーパーで肉を買う。鶏もも肉が安かった。何となく酒が飲みたくて、チューハイが並ぶ陳列棚の前を暫くウロウロしたけれども、どうにも気持ちが高まらない。炭酸が飲みたくないのである。量だって500mlもいらない、コップでちろちろ舐めたいくらいの気分に、優しく寄り添う酒がない。仕方ないから酒瓶を見に行くが、ちょっと飲みたいだけなのに何故重たい買い物をしなくてはならんかと腹立たしい。初めはトンビの眼光で果実酒コーナーを吟味していたが、5分くらいで疲れてしまって適当に安い梅酒を買った。舐めながらこれを書いている。普通においしい。
ゴールデンウィーク初日がこうやってだらりと終わっていく。本当は今日友人が来るはずだったが、飛行機を乗り逃してスケジュールが押したらしく、また次の機会にということになった。出来るだけ家の中で過ごそうという連休でもあるから、無理してでも会おうとは思わなかった。もちろん会って話したいことは沢山あるけど、オンライン上での会合にも慣れて、「会うからにはどうしても直接顔を見なきゃ」という強迫観念は薄れて来たように思う。色々なこだわりが薄れつつあるが、私そのものが薄れているわけではない。薄まるならメチャクチャ薄まってみてもいいような気がするんだけれど。先週受けた授業の中で先生が『植物は〈知性〉をもっている』という本を勧めておられて、それはまだ読んでいないけど、紹介された一節に「人間は、生物学的に人間であるからといって、社会的にも当たり前に人間だというわけにはいかない」というのがあり、心にストンと落ちた。光合成とか呼吸とか、おかれたその場所で生命活動をしている植物は、誰かに認められるまでもなく植物だけれど、私が道の真中に裸で立ち尽くして静かに息をしていたなら、通報を受けた警察が来て取り調べされて、あるいは専門機関でしかるべきカウンセリングを受けるだろう。「ああ人間だ」と思ってやり過ごしてはもらえない。私だって裸の人間が市中をさまよっているのは怖くて嫌だ。ヒトであることは確かなのに、それだけじゃ人間になれなくて面倒くさい。「コタキ兄弟と四苦八苦」にも植物になりたい女の子が出て来て、兄弟も危うくその子と一緒に植物になるところだった。あのドラマでは確か、風呂が彼女を食い止めたんだった。久々の風呂に入ったあと、生まれ変わったみたいにハキハキと話し始めて、彼女は人間にとどまった。確かに、湯船に浸かれるんだったら人間でいてもいいなと思う。
去年までは色んな人の「こうじゃなくちゃ」を内面化しすぎてぐちゃぐちゃになっていたが、この数か月間眠り通していたら大分頭がぐにゃぐにゃになってきて、具合がいい。多分今なら虫とかを躊躇なく食べる。負荷が無さ過ぎてどんどんばかになっている気もしないでもない。インプットに偏り過ぎている。
今日の昼間もダムタイプの「S/N」が映像配信されているのを見た。見た後でこれはちゃんと書き残さなくちゃと思いながら、布団に入って昼寝した。ブブの垂れ下がったアイラインを思い描きながら寝た。起きたら腹が減っていたので、冷蔵庫を開けたら卵しかない。