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最近夜明け前に空腹で目が覚めて、一枚パンを食べて、もう一回寝て、8時に起きて、朝ドラを見ながらパンを食べて、また寝て、10時に起きて……という生活リズムが定着しつつある。今日もやっぱりそれだった。五枚切れの食パンが二日で消えた。明日また買いに行かないといけない。

起きてから暫くは、頭が全然働かなかった。脳内で変な音波がうねっているような感覚があって、さすがにこれは気圧のせいだろ、と思い調べたが、頭痛ーるによればいたって平常だった。気圧だろ、と確信した時に気圧が異常だったためしがない。大抵単なる寝不足、不摂生である。全然天気のせいにできない。その次に生理周期を疑うが、これもいまいちパチンとはまらない。生理前から生理中にかけてはむしろ躁状態で、アクティブになる方が多い。つくづく大雑把にできている。

昨日の夜に絶対やることを決めてから寝たが、かろうじて全部に着手した。ベッドのマットレスに空気を通して、昼から2限の授業音声を聞いて、火曜4限の予習をして、取り消し科目を確定して、それから明日の発表の準備をした。完遂したとは言っていない。

木曜2限の資料をDLしようと試みるが、データに不具合があるようで、全然落ちてくれない。待っている間爪を塗る。昨日CHAIの動画を見ていたらYUUKIちゃんが右手と左手の爪を塗り分けていて、すごくかわいかったので真似してみる。左右が判別しやすくなった。ずっとこれでもいい気がする。YUUKIちゃんはベースもうまけりゃ絵もうまいが、何よりかにより彼女の顔が好きだ。顔の輪郭とか、血管の透けそうな白い肌とか、きゅっとした顎から首にかけてのスムーズなラインとか、高校の図書館の先生にとても似ている。結局資料はDLできなかった。

夕飯はボロネーゼもどきだった。本当はドライカレーにしたかったのだけれど、カレー粉がなくて、カレー粉の為に着替えてでかけるのも癪だったから、やめた。ソースが少し余ったので、きちんとタッパーに入れて冷蔵庫送りにした。作っている間は志ん朝文七元結を流していた。屏風の裏に隠れたおかみさんが、背後から長兵衛さんを小突いたり引っ張ったりするところ、長兵衛を演じる志ん朝さんしかいないはずなのに、確かにおかみさんが見えたので感心した。落語は好きだが噺家にはうとくて、ずっと志ん朝ばかり聞いている。

日記の記事数が、気づいたら100を超えていた。日記を書いているときはいつも、町屋良平の『僕はきっと優しい』の主人公をうっすら思い出している。あのひとは確か、毎日日記を書いていて、書いていないことを思い出したら遡って書き直す位、あった出来事を残しておくことに執着するひとだったはずだ。本棚の奥から久々に引っ張り出して、読んでみる。

「じゃあいま、わたしとふみくんがこうしていることも、あとで書くの?」
「書くだろうね。いつかわからないけど。明日か、数週間後か、何年後かもしれないけど」
「わたしがこうしてしゃべったことも」
「ちゃんと書くよ」
「こわー……」
「え? だっておもいだせることなんて限られてるじゃん。そっちのほうがこわくない?」
「ぜんぜん。わかんない」
「ぼくはこわい。だから、日記にもういまおもいだせないこととか忘れちゃった感覚とかを書いてあるから、このまま真摯に文章を書いてゆけば、日記がぼくよりぼくになるんだよ。日記の方がにんげんに近くなる。文章のほうがぼくよりもぼくになる」

町屋良平(2019)『僕はきっとやさしい』河出書房新社

 2月の初版発行直後に買ったので、この日記を始める前に読んだはずである。このひとの言うような怖さはそれまでずっと感じていたくせに、「日記は向いてないからな」とかなんとか言って、ほとんど何の手立ても打ってこなかった。そのくせこういうのを読むとすぐに影響される質で、「なんだ、普通に全部書いちゃえばいいんだな」とやけに納得して、ようやく重い腰をあげたのだった。そうだった、そうだった。