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昨日の夜公園で友達と2時間くらい話をして、これまでの彼女の怒りとかやるせなさとか、全くわかっていなかったんだと気づいた。この四年間で一番多くのことを話した友人なのに、私は多分、彼女の話の半分も理解できていなかった。恥ずかしくて悔しくて、「今からそいつら全員殴りにいこう」って、少し冗談交じりに(9割は本気で)言ったけど、「それはいいよ」って苦笑していた。私はとても情けない。

本を読んだり人と話して新しいことに気づくのは、すごく楽しいけどすごく痛い。自分の浅慮を少しずつ認められるようになったのはごく最近のことで、そのせいでどれだけの人を呆れさせてきたか、見て見ぬふりをさせてきたのか、計り知れなくて途方に暮れる。「気づかないよりはずっとよかった」と何度も口の中で繰り返し、自分に向かって言ってやる。気づかないよりはずっとよかったし、言ってやらないと少し前の自分は目も当てられないから。

自分が心底楽しいと思えている時、周りのみんなも同じように楽しいはずで、楽しめない人は自分の意志で「みんな」から距離を置いているんだろうし、それでいいのだと思っていた。全員と仲良くしたいのは本当だったけど、「みんな」に入ってこない人とは、私個人が一本繋がっていればよいのだと思っていて、「みんな」っぽくない彼らたちと関係を保てる自分に、多分ちょっと酔っていた。人のことがどうでもいいのは今もそう変わりないけれど、せめて一番近くにいる友達のことくらいは気づきたかった。頭がぼうっとする。

もっと沢山本を読んで、考えて、賢くなりたい。諦めた顔を見るのはつらい。わかりたいよ。