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一度文学史的意義をはずして考えた方が何らかの進歩が期待できそうだが、そこをはずしちゃいかんだろうという思いもあり、どうにも動けない。

あれだけ百閒を推賞していた犀星が「相剋記」の評で「べた書き」とか「小説家としての努力がない」とか、果てには「彼こそ小説を書くべき人物だと思っていたが見誤っていたようである」とか言っていて(意訳)、私が一番悲しくなった。そのくせ「東京日記」になると急にまた褒め出す。それなら最初からそんな風に言わないでよと思う。今の雑誌や新聞にみられるブックレビューはどれもこれも褒め言葉だけど、昭和期の文芸時評は意地悪言ってなんぼみたいなところがある気がする。意地悪言えるような大家とか批評家がいなくなったというより、社会の流れなんだろうと思う。

にしても時評に名前の登場することが少ない人で、多分ほとんどの作品が「中間読み物」として見過ごされてきたためだろうと思う(これはじっさい雑誌を見てみないといけない)。文学史上に位置付けられないなら、研究対象として不足だろうか。そんなはずはないんだけど、まだうまく説明ができないので、一番の課題はそこだろうと思う。

南山壽・蜻蛉眠るの方向で私小説と関連づけるか、小品・写生文・漱石といったキーワードで冥途を見直すか、というところになりそうだがいまだに定まらなくて不安である。今一番気になるのは、鶴の二声にも名前の出ていた旅順入場式。あの人の頭の中にあった旅順とは何だったのか。いずれにせよ荷重に感じるが、卒論だもんな。卒論か。