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この前の「シャムゴッド・トーク・ドリル」でシバッチャンが言っていたのが、文章を書いているといつの間にか短くまとめようとしてしまうのは、歌の長さに慣れてしまっているからかしらん、ということで、そういうことは往々にしてあると思った。私たちは自分で思っている以上に完成されていなくて、身につけた手癖のメソッドに簡単に思考をのっとられる(シバッチャンのは、手癖なんかじゃない)。目についたものについて思考をめぐらしているつもりでも、眉間のあたりで考えているだけで、頭にはなにも残っていない、というようなことが最近多くて、多分twitterの見過ぎだと思う。書く方にしてもそうだ。メリットも大きいのでなかなか切り捨てられずにいるが。如何せん情報量が多すぎるのと、用いられる語彙や言い回しが偏っている(あるいは説明されずに使われる言葉があまりに多い)のとで、考える営みに結構よくない影響が出ている気がする。恐い。

上記とはあまり関係ないが、先回りしてウンウン唸って考えるより、先に直観で選んだものを馴染ませたり、捨て去ったりする方が性に合っているかもしれない、と最近思う。こういう文章もまた眉間で考えながらつくっているし、書こうと思えばもっと書けるはずだけど、疲れてしまって書く気になれない。