6/1

季節の始まりなら何でも好きだけど、こと夏となると、「好き」というだけじゃ足りないような、突然走り出したい衝動にも似た、エネルギーが腹の底からぐぐぐっと持ち上がって、四肢の隅々まで行き渡るような、そういう感覚がある。本格的に暑くなってくると、そんな呑気なことは言っていられないけれど。

梅雨が好きだ。ずっと夏に向けた準備体操のように思っていたけど、梅雨は梅雨として、好いてもいいような気がしてきた。雨はそんなに好きじゃないけど、梅雨に雨が降るのは好き。しかるべき時にしかるべきものが訪れている安心感があるからだ。去年の6月は結局最後まで毎日のように晴れていたから、何だか本当に落ち着かなくて、天気予報の晴れマークを見るたびにじりじりと苛立った。カンカン照りの日光の下で見る紫陽花の花、あんなに居心地悪そうなものもない。花の中では紫陽花が一等好きだ。忘れるくらいずっと前から。

夏生まれだから夏が好きなんて、そんな馬鹿な話はない。勿論誕生日は好きだけど、それとこれとは別問題だと思う。けれど実際夏が近づくと、腹の中がぼこぼこと沸き立ってきて、やっぱちょっと関係あるかもしれないというか、関係があるのも悪くない気がする。旬を迎えた食べ物が、うつくしく元気に見えるようなこと。

見た目で誕生月当てようとする人、いるでしょう。いるでしょうっていうか、私は結構あれが得意なんだけれど、自分は当てられたことがない。大抵、秋生まれ?とか、冬でしょう、と聞かれる。余程陰気に見られているらしい。考えてみれば8月の終わりなんてのも、わりに陰気な季節ではある。ユーミンに「晩夏(ひとりの季節)」という曲がある。抑えた声のAメロも、秋を予期して空を見上げる歌詞も、センチメンタルで、暗いっちゃ暗い。あの歌の季節に生まれたと思うと悪い気はしないけど、やっぱり、「やがて来る淋しい季節が恋人」なんて柄でもない。

何を書こうとしていたかと言うと、夕飯にとうもろこしを食べたのだった。近所のスーパーで100円で買った、とうもろこしをただ塩でゆでて食べた。時期がやはりまだ早いのか、それとも安いだけあってそんなにいいやつじゃなかったのか、粒の張りはあまりよくなかったけど、十分あまくて、元気の出る味がした。最近、おしゃれな諦念とか厭世観に憧れてたけど、とうもろこしを食べて気が変わった。そういうの、私だと全然格好つかないのを思い出した。今日も柴田聡子のライブ配信があったので、夕飯前に見ていた。BAD AND TOUGHという初めて聞いた歌、やたらめっぽうよかった。シバッチャンは、いつも当たり前のことをいうように自分の曲を歌う。シバッチャンの書く歌詞は、うがって読もうとするとどんな風にでも解釈できそうな変てこさというか、おおらかさがあるんだけど、彼女自身が大きな口でのびやかに歌っているのを目の当たりにすると、この人の書くものに関しては、もっと素直にそのままを受け取っていいかもな、という気になる。わるくて、たくましい! 凶暴なハイエナの顔つきで、丸ごとのとうもろこしに食らいつく。わるくてたくましいを目指す生活は、何だかとても楽しそうだ。