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ため込んでいた無力感が昨日ついにふくらみきって、爆発してちりぢりに散った。出さなきゃいけない課題が二つあったけれど、一つは遅れて提出して、一つは到頭出さなかった。高校生の頃、文学部進学を反対された時、「本とか文学をどうでもいいと、本質的に生活に必要のないものだと私がもし口にした時は、私という人間が終わったと考えてもらっていい」と泣き叫びながら母に訴えて、困らせたのを思い出す。そうだとしたら、私という人間はもう終わりかけているのかもしれないと思う。卒論のテーマも未だに決まっていないし、演習の準備も遅々たるものだし、何をやっても集中できないし、頑張れなくて、情けない。あーつらい、つらいなあと言いながら風呂場で前髪を切った。伸ばすつもりで放っていたのを、眉毛にかかるくらい短く切った。

折角髪も染めて、グレる決心もついたのに、いつまでもぐずぐず同じ場所にとどまっていて、進歩がない。結局いつもと同じような、切りそろえた前髪に安心する。そうめん茹でて食べている間ずっと、知らない他人への呪詛が脳内を渦巻いている。もうだめかもしれないと思って母親に電話を掛けた。「何もわからない」と100回くらい言って、むずがる子どもみたいに泣いた。例の通り「あんたよりダメな学生もいっぱいいる」とか「子どものころから賢かったんだから」とか、全然見当はずれの慰めが電話の向こうから沢山聞えて来たのに、いつもみたいに苛立たなくて、ああこうして自分勝手に泣きわめいても不審がらずに、無条件に慰めてくれる相手が必要だったと思い知った。勝手な話である。母の心配げな声を聞いていたら馬鹿らしくなってきて、「フリーターになるので覚悟しててください!」と言い捨てて電話を切った。あとから「Take it easy」のフレーズが、大袈裟なびっくりマークと一緒に届いていた。

もし仮に将来、自分に子どもがいたとして、私はきっと特別な言葉をそいつにかけてやる必要はない。ただ無条件に味方でいてやる。親と子どもは絶対他人で、気が合わなくても嫌われても嫌いになっても全然おかしくない。でも私はなるべくそいつの味方でいてやる。せめてそいつが泣いた時くらい、ちっとも驚かずに、見返りを求めずに、当たり前の顔して甘やかしてやる。そういうことを考える。