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レジュメを書く以外の時間はずっとコントを見ている。YouTubeでいくらでも面白いコントが見られるのでいい時代だなと思う。昨日見た中でいうと男性ブランコの肝試しのやつと涙の虹と、キングオブコント2013の天竺鼠の寿司のやつが面白かった。男性ブランコはコンビ名で食わず嫌いしていたが、多分かなり好きになると思う。普通の人が普通にしているのが面白いコントと、変な人が変なままでいられるコントが好きである。こういうふうに並列して書くと別物みたいだが、つまり出てくる人についてこの人多分死ぬまでこんな感じなんやろうなと思えるコントが好きだ。長くてせいぜい20分とか30分という限られた時間の中でひとりの人間を理解するなんて、現実には不可能だけど、コントはフィクションなので、そのなかで表出された純度100パーの不器用さを信じてもいい。それがその人の普通であることを疑わなくて済むのがいい。

ラーメンズのコントは大体好きだけど、昔から「ネイノーさん」とか「絵かき歌」とか「バニーボーイ」とかが特に好きで何度も見返してきた。優しくてちょっと「足りない」男と、そいつの言動に翻弄されながら、なんやかんや世話を焼きつづけるしっかり者の男。こういうコントを屈託なく好きだといえたのはきっと、自分のことをどちらかといえば、「しっかり者の男」側に位置づけているからで、無自覚さを思い返して厳しい。コントはフィクションだが、フィクションには作者がいて、作者によってこの社会に生みだされたものなので、この社会の文脈をまるきり無視して受容するのは臭いものに蓋をするのと同じことである。それでもどうか、こことは別の世界で生きるネイノーさんとその友達が、白木のフローリングにぺたりと座って永遠に同じようなやり取りをしていてほしい、結構マジに願っているが、あの関係を彼らの幸福と決めきっている時点で、観客という特権を乱用しているとも思う。純度100パーはコントの内部にしか存在しえないのかも知れない。私がそれを「純度100パー」と名指した瞬間に黒ずむ。

書けば書くほど何も分からなくなる。受容理論をもっとちゃんと勉強しないといけない気がしてきて辛いので今日の通勤時間に見かけたよいことをメモしておく。病院の前の階段に座ってずいずいずっころばしをする子ども二人。ふくらんだ梟みたいな歯医者の看板(開院日時を照らすライトの縦に長いシェードが嘴ぽかった)。バス停の苔。よくないことでいうと、閉店中の電気屋に黒くてでかい虫(蛾?)が閉じ込められていて、開かない自動ドアに何度も身をぶつけているのがバスから見え、痛々しかった。バイト中に殺されたムカデにも同じ気持ちを抱いたがそれよりも、発見されてから約1分で処理し終えた社員さんの手際の方に感動して、人間であることから逃れられない。くそー