レジュメ提出の締め切りが近いのに全然中身のない書きかけのワードファイルを目の当たりにすると情けなさで腹が痛むので休憩する、本を読む気になれなくてまだ見ていない動画を漁る、かが屋を見ていた昼間はよかったけど、夜辛いものを目にしてしまって、辛いのにあれこれ見漁って余計に辛くなる。「僕にもっと金があれば母親にもっといい治療を優先的に受けさせて長生きさせられたかもしれない、金のあるなしで命に優先順位がつけられている」みたいなことを言っていた。他者が介入できないストーリーで自分の思想を正当化する方法は、自覚的に選んだんじゃないかという気がする。全ての人が医療行為を受ける権利を持っていないとおかしくて、そうでないなら現行の社会制度がおかしい。なんだけど、あの人がわざとそういう話をしたんだとしても、やっぱりちょっと悲しかった。そんなふうに考えてしまうのは、辛いだろうなと思った。あの人個人にどんな酷い制裁を下すかより、どうしたらあの意見が絶対間違っているのだという共通理解が形成されるか考える方がずっと大事だと思う。胸苦しさの行き場がなくて、前から知っているNPOに初めて寄付をした。褒められたもんじゃない動機だけど、ともあれ寄付したお金は有効に使われるはずだから、安心。
私を分かってもらうために、例えば好きな駄菓子とか、嫌いな季節を教えるだけじゃなくて、こうした問題に立ちあった時の立場を表明しないといけないような気がしてきている。どんどんしてきている。ずれている部分はほったらかして、共鳴できるところだけで気持ちいいコミュニケーションをとれたらいいと思う時もある。そういう相手もそりゃ、いる。だけど今後10年、20年付き合いたいやつには、やっぱりわかっていてほしい気がして、「私はこう思うんだけど」と話したら「あ、そう」で流されて、後悔する。話し合いにならないのなら、表明する必要もなかったかと思う。ていうか、話し合って結局分かり合えなかったらどうすんの。「こんなこと言っているけど本当はいいやつなんですよ」がこの世で唯一まかり通るのが友人関係だという気もする。だけど、特に今引っかかってしまう意見の相違は、ぶつかる度にすごく磨り減る類のもので、関係性にも変化をきたすだろう。変わらずに続く関係なんてないから、それでいいのか。だけど怖い。ぐるぐるしている。ぐるぐるした言葉で書くから、余計にぐるぐるする。このぐるぐるを今すぐ整理するのも、なんか決定的に間違えそうで、怖い。