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昨日は何故か上手く寝付けず、2時過ぎに床に入って6時前には完全に目が覚めてしまった。顔を洗って口をゆすぎながら初詣に行こうと思い立つ。まだ日が昇り切るには早くて、外は薄青の画用紙に黄色の絵の具を刷毛でざっとなでつけたような。荷物の用意はできたけど、もう少し気温が上がるまで待とうかしら、と本を読んでいたらいつの間にか寝ていた。少し前に買った吉川幸次郎『古典について』を四分の一くらい。彼が再三強調する注釈の学への信頼と敬意は、今の文学部にも脈々と受け継がれていると思う。私みたいな不真面目な学生にさえ、ちろちろと流れ着いているくらいだから。いや、しかし、教えられた方法論を考えなしになぞっている部分が大きいので、やっぱり一度きちんと腰を据えて考えねばならないと思う。ちょうど来年の今頃はほとんど泣きそうになりながらWordプロセッサとにらめっこしているのだろうが、そうして書き上げたものの底の方には、少しでいいから哲学が流れていてほしい。ほしい、じゃない。そうじゃないといけない。

近代以前と以降で意識や方法論がかなり違ってしまうことに、どうしても違和感が残る。口語文という発明、西洋諸国の近代思想の受容、資料の充実性、共感可能性、色々あると思うのですが、だとしたら、「近代」という時代はいつまで続くものなんでしょうか。現代はきっと繰り下がっていくものでしょう、じゃあ近世や近代はどうなんだろう。次は何なんでしょう。いや、ほとんどテキストベースでしか知り得ないような昔のことに、例えばテクスト論的方法論を適用してみたところで、妄想の領域を出ないっていうか、あまりにも堅実性に欠けるだろうってのは、想像つくんですけど、あああ、自信がないのでどうにも上手く言えない。

閑話休題

次に起きたのは11時過ぎで、あわてて家を出て近所のドーナツ・ショップに向かう。お代わり自由のカフェオレで2時間ほど粘り、先月分の通信教材のノルマを達成する。実を言えば1週間前に出していなければいけなかったものである。今月分は早めに終わらせる。

店を出た後、忘れたスマホをとりに一度下宿に帰り、それから下鴨神社へ。やけに人が多いなと思ったら、今日は蹴鞠はじめの日で、折よく見かけることが出来た。鮮やかな装束に身を包んだレディとジェントルマンが景気よくぽんぽんと、白くてまあるい鞠を蹴り上げる。たくさんの人が幾重にもなって取り囲み、腕を伸ばしてビデオ撮影している。あんな大勢にまじまじ見られちゃあさぞやりにくかろうと思うが、ラリーが長く続いた時にはパラパラと拍手が起こったりして、あれはあれで、ニマリとしてしまう趣きがあった。立ち並ぶ出店のいい匂いに負けてしまう前に、と本殿にご挨拶申し上げて早々に撤退した。鯛焼きくらい買ってもよかったかなと思う。

高野の郵便局で用を済ませてカナートに向かう。大幅にリニューアルして今は名前もカナートじゃなくなったそうだが、どこぞの地下水路みたいなとぼけた響きに愛着があって、「カナートだったとこ」とか「前のカナート」と呼んでしまう。私に「阪急スクエア」はちょっとハイカラすぎるというか、大袈裟な感じがして、面はゆい。

2階のフードコートで席を確保し、ポテトとアイスティーで改めて居座る決意を固める。左隣の席の人が3回くらい入れ替わったところで切り上げて、外に出た。夕飯は帰ってから食べようと思っていたが、発表に使うパワーポイントが大方作り終わったところで、非常に腹が減っていることに気づいて、結局かけうどんとかき揚げを貪り食った。天かすが胸にやけて仕方なかったので、帰りがけにコンビニで野菜ジュースを買って飲んだ。

家に戻り、下りて来たエレベーターからたまたま妹が出てきて驚く。そのまま一緒にスーパーに行く。おやつをねだったらくんさきを買ってくれた。部屋に戻ってゴリパラ見聞録の動画を見た。そろそろ寝ようかなと思う。