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昨日は夕方から高校時代の友人に会っていた。一人を除いては会うのだって一年ぶりで、ましてやあんなふうに落ち着いて話すとなると、卒業以来だったんじゃなかろうか。

正直に言えば、直前までちょっと、会いたくないな、イヤだなあと思っていた。きっと最初は「ひさしぶり」で始めて、お互いの近況だか進路だかを報告しあって、話すことがなくなったところで、思い出話に花を咲かせて、最後まで探り探りの姿勢を崩さず、それでも「会えてよかったね」「またすぐに会おうね」なんて満面の笑みで別れて、その後でちょっとほっとする。新年早々ひねくれすぎているとは思うが、そういうの想像して、勝手に気を重くしていた。

でも、待ち合わせの店に入って、声を掛けられたとき、「ああ今日は大丈夫かもしれない」と思った。ビールを一杯飲み干したくらいのところで、「やっぱり今日は大丈夫そうだ」と思った。まるで卒業直後みたいだった。この人とはこういうふうに、こんなこと話してたな、と一瞬で思い出せた。なれなれしく手を握って見たり、わざと聞こえないふりをしてみたり、そういうのすべてが至極自然に運んで、とても過ごしやすかった。嬉しかったな。嬉しかったのだ。

三年経ったから、というのもあるのかもしれない。私たち随分遠いところまで来た。新しい環境に目を奪われたり、今の人間関係で精一杯になったり、そういうめまぐるしさを一度通り抜けたから、ああいう風に話せたのかもしれない。時はいつの日も親切な友達だ、って、ユーミンも言っているのだ。時間がたったからって薄まるばかりのものでもないのだと安心した。そりゃね、もっと長い時間、膝突き合わせて話すとなれば、お互い変わった所とかも見えてくるのかもしれないし、そのことに違和感を感じることだってあったかもしれないのだけど、それでもいいから、もっと話していたいなと思う夜だった、昨日は。

折角早めに京都に戻ってきたので、ざくざく課題を進めなければならないが、昨日遅くまでドラマを見ていたせいで随分遅起きしてしまった。友人が「今までで一番好きなドラマ」だと絶賛していたから見たのだが、なるほど、多部未華子は吐きそうになる程かわいい。今から風呂に入ってくる。