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朝から胸がごぼごぼと沸き立つような気がして、落ち着かないのは何のためか。インターンシップの提出物を昨日まで出し忘れていて、大急ぎで写真と誓約書とを送付した。九月までに出さねばならない書類も無事に思い出し、もうほっと一息ついていいはずの頃合いだけれど。今読んでいる百閒全集はまだ五巻目。三十巻には到底追いつかないが、全部読み終えてしまったら、もう新しい作品は読めないのだ、と至極当たり前のことに気が付いて、すこし暗い気持ちになった。まだ先のことだというのに。とりあえず本を閉じる。

昨日は久方ぶりに活字以外のものと交流を図って、ずいぶん楽しい思いをさせてもらった。そういうときに必ず一緒に、靴の裏側にひっついたガムみたいに、しつこく付きまとう感情は、どうにもやりきれないってこと、というのも、私に言葉が足りないから。貴方に長く残るような小粋なジョーク、あるいは教養をうかがわせる返答をと、いつも意識下に考えているから、普通に喋っていても疲れてしまう。バカだということを認めたくないのだ。

自分はこういう時どう話していたんだっけ、と見失うのは、最近人と話す機会が少ないためか。相手によって態度が変わるのは、相互行為としての会話の性質上仕方のないことだと分かっていながら、そうか、フィクションづけの最近だから、自らにも不変の、愉快なキャラクターを見出そうとして、他人に対しても押し付けんと試みるから、けれどもそれまでの自分のキャラも捨てきれなくて、その乖離に発するべき言葉を失って、その場しのぎにあわてふためくから、ああそれで、何となく疲れてしまうのか。くだらないことをあくまでくだらなく、楽しい与太話として話せたらいいけれど。

友人から写真がいくつか送られてきた。都市計画に失敗した郊外の町、いかにもあやしくてワクワクした。

火にかげられ跳ねで逃げる狐こ

かげられ、がわからん。跳ねもせず一生懸命逃げる狐のこ?火に駆けられ、駆り立てられ、ということ?本当にわからん。ぞわぞわする。

きさらぎ駅のことも昨日調べて、相当にぞわぞわした。楽しいことはそこらに転がっていて、自分から拾いに行きもしないで、つまらないネ、と口をとがらせるのは随分な傲慢だ。

昨日から考えていたことを書きつければ治ると思ったが、まだごぼごぼが収まらない。動悸息切れには求心がいいらしいが、いったい何が入っているのだろう。カルシウムとかそういうの?分からないことを分からないままにしておきたいこともあるね、ままある。取り敢えずごぼごぼは脇に置いて、勉強しなければならない。