1/22

くさくさした気持ちで退社してそのままサイゼリヤに吸い込まれ、パルマ風生ハムと青豆の温サラダとライスと玉ねぎのズッパと白のグラスワインを一度に頼んで豪勢にやった。足りなくなって250mlのデカンタを追加注文したが、あれが200円だったことに今更怖くなっている。十二分に酔っ払って、『高慢と偏見』を読み進めていたのだが、ミスタ・コリンズのエリザベスに対するプロポーズの場面で、断られても断られても「それはあくまで慣習に則ってるのですね」とか言って全然話が通じないのが怖すぎて、ヒエー!と声が出たのでその勢いで帰った。今のところ、ダーシーよりウィリアムの方が胡散臭くて怪しいと思う。あと、メアリにやや肩入れしている。

1/21

昨日は映画版「カラオケ行こ!」をみた後にベトナム料理を食べて、それからほんとにカラオケに行き、解散は結局明け方になった。そういう朝にザーザー雨が降っていたり、薄暗い商店街を通って帰るのがなんとなくちぐはぐで、まどろみながらも映画じゃない現実の手触りがした。現実にこんなふうに親切にしてくれる友人たちがいるのだと思った。

友達と心ゆくまで遊んだ日の翌日は、前日のことを咀嚼したいのと、あとは単に体力面の問題で、できるだけ一人で過ごしたいが、今日はちょうどそういう日になった。目が覚めたら14時前で、15時に開く銭湯に行こうと決めたはいいものの、全身に疲労が残ってそのまましばらく動けず。先週見逃した大河を見ながらトーストを食い、ほとんど寝起きの格好のままどうにか家を出る。湿度が高いせいか随分暖かくマフラーもいらなかった。着いてみたら平日の夜の2倍くらい自転車が停まっていて、日曜の一番湯が盛況であることを知った。

夜には運動部らしい大学生もちらほらいるが今日は見かけず、揃いのサウナハットとサウナ着の二人連れのご婦人がいたりした。湯船に浸かって見上げると天窓から光が入ってそりゃ当然明るい。実家でも休日の昼に風呂場に入ると、そんなに掃除も行き届いてないその場所が、世界で一番清潔みたいだった。公衆浴場に安心して入れない人がいることを知って以来、自分がどうしてここで普通に裸でいていいのかわからないという思いもあり、しかしこうやって来てみると気持ちの良いことこの上なく、来たりやめたりを繰り返す。

急いで髪を乾かして図書館に向かい、本を返して本を借りた。会社の同僚らしい人を見かけたが、閉館間際だったこともあり私の身なりもひどかったから、声はかけなかった。出た後もまた別の知り合いを道の向こうに見かけた。家のある方から、自転車に乗らず歩いてきたから、これから誰かと一緒に歩いたりするのかなと思った。私がみていないところでも、知人たちは当たり前にここらをうろちょろして生活を営んでいる。そこに私が一切介入していないということが、うまく説明できないが、嬉しいと思った。

近所の定食屋で飯を食い、喫茶店を覗くと満員だったから別の喫茶店に行き、退店してもう一度戻ってみたら今度は席があった。コーヒーと紅茶をそれぞれ一杯ずつ飲んだので、今日うまく寝られるかわからない。読んだのは図書館で借りた『高慢と偏見』と『アンダイング』。前者は今日返した『自分一人の部屋』の関連で。オースティン20歳時点の作だというからビビる。Wikipediaをみると父が出版打診の申し込みをしたとあるので家族は協力的だったかもしれないが、好きな時間に執筆してそれだけに集中できるような環境ではなかったことだろう。もう今はいない女たちがどういう生活を送って、どういう喜びと苦労があって、今私の目の前にある痕跡を残したのか、もっと知りたい。後者は今の仕事に関する本が何か読みたいと思って当てずっぽうで借りたものだが、あーー、すごく、これは…。仕事で安易に提案したことを省みて不安になり凹みもし、帰りにカップヌードルmini買って安易な塩分と脂質に頼った。色々飛躍して、里山社の本ぜんぶ読もうと思った。会って話してみたい人ができた。このままでは会えない。がんばりたい。

12/18

父方の祖父が一月末に亡くなり、祖母は八月の頭に亡くなった。どちらの時にも律儀に私と母と妹、三人雁首揃えて葬式に出向き、粛々と参列し、夜には喪服をホテルに脱ぎ捨てて旨いものを食べた。この時のことを今年のうちに、なるべく詳細に書き残しておかないといけない気がしている。あれから全身の水分が抜けきって、人間性を少し失った代わりに、概ねとてもせいせいした気分で過ごしている。これがいいことなのかわからない。

12/17

冷凍していた御座候を温めて牛乳と一緒に食べたけど何となく物足りない。茄子と豚肉を味噌で炒めて食べて、それでも口さみしくて棒付きアイスまで、朝からちぐはぐな食事をとる。それから二時間くらいだらだらと過ごしたが、何とか荷物をまとめて家を出、隣の隣の喫茶店へ。さっきあれだけ食べたというのに、ここでもイタリアンスパゲッティとコーヒーのセットを。スパゲッティを食べている間はソースが飛ぶから本が読めず、スプーンとフォークで両手も埋まるし、強制的に目の前の空気を見つめて考え事する羽目になり、それがいいと思う。食後コーヒーを飲みながら本を読み、隣の席に二人連れが座ってしばらくしてから席を立った。前に人と一緒に来たときも同じ窓際の席で、その際スパゲッティを食べていたのは相手の方だった、と思い出す。最近ラジオをよく聴いていて、というような話を一生懸命したのだった。

大学図書館へ。学生の頃からずっと同じ窓際の席を選んでしまう。途中何度も気を散らしながら『病いの語り』を2章途中まで読み進めた。失った身体機能や身体の一部について語り、折り合いをつけるまでの過程は喪の作業だ、というようなことが書いてあり、うなずく。

帰り道で急にシュトーレンが食べたくなり、ケーキ屋を覗いたが売っていない。店を出ようとしたところで背の高い男性客が入ってきて、片言の日本語で「ただいま!」と店員さんに片手を上げて合図していたが、なにか違う店と勘違いしているのか。別の少し洒落たパン屋にはありそうな気がするので明日にでも行く。コーヒー屋とスーパーに寄ってその他の買い物は無事遂行した。

帰宅後晩飯。手羽元とキャベツの千切りを出来合いの寄せ鍋つゆにつっこみ念入りに煮た。十分うまい。その後やっとパソコンを開いて、着手できなかったことに着手した。友達が電話口で話してくれ、気を散らしてくれたからわりに捗った。少し前までやや俯きがちだったが、先週、今度離職する会社の先輩と酒をまあ飲みに飲み、平日だというのにその人の家で寝落ちて、翌朝慌てて帰宅し何とか出社だけはしたものの、午前中のうちに二度ほどトイレで嘔吐し、昼間は裏手の公園のベンチで横たわって空を見た。先輩の家でも寝ぼけて粗相をしたのではないかと怯え、とりあえず先手を打って謝りのLINEを入れた後、10時間くらいスマホが見られなかった。あんまりでっかくやらかしたもので、日々の細やかな不安なんかもう全部吹っ飛んだ。今私の目の前には何もない荒野が広がり、ただ一枚細い板切れが地面に刺さっていて、そこには震える毛筆で「日本酒と赤ワインをちゃんぽんするな」と書いてある。

12/9

大学時代の友人とおよそ二年半ぶりに会う。学部が同じで興味が近く、各々勝手に登録した講義が毎度三つか四つは被り、自然と隣同士で座った。私の卒業が一年遅れ、最後に会ったのは友人が地元に帰る前の日だったか、余ったトイレットペーパーと魚の缶詰を受け取った。こうしてわざわざ遊ぶのは初めてで、待ち合わせ場所に着き、待っている時間も何となく面映く、ベンチに斜めに腰掛けて目を瞑った。時間ちょうどに友人は来た。

大学近くでご飯を食べようということになり、何が食べたいか聞いてみると「イタリアンとかそういう、海外の特殊なのはちょっと」と言うのでウーンと悩む。ハンバーグとも迷ったが、結局本人の希望もあり、うどん屋で丼ものを食べた。こうしてお店で向かい合ってご飯を食べたのも、今までに一回あったくらいだと気がつく。近況報告など。

退店、伏見稲荷大社へ向かう。私はICカードで、友人は切符を買って改札を入った。準急に乗ったが三条で5分くらい止まったままなので怖かった。特急に乗って乗り換えた方が早かったかも、と謝ると、いいよ、ゆっくり話そうと言われる。目の前のベビーカーに座っている赤ん坊が、何回も泣きそうな顔をして、その度こちらを見て真顔に戻るのでおかしかった。

電車を降りてからずっと人が多い。修学旅行で来て以来初めてだったから、こんなに観光地めいていたっけと思う。きっと境内目の前のJR稲荷駅で乗り降りして、周りをぶらぶら歩く時間がなかったんだと思う。本殿で手を合わせた後、地図看板を確認し、行けるところまで行こうと歩き出す。なんか、ものすごく歩いて、目標にしていた「三の辻」だと思っていた場所に着き、看板を見ると二つくらい前のエリアなので、見晴らしのいい景色を背にして崩れ落ちるようだった。友達が図書館で借りてきたガイドブックには「大人のプレミアム旅」と書いてあったので、これが本当にプレミアム旅か!?といちゃもんをつけた。青いウィンドブレーカーのおじさんが「この看板に描いてることをそのまま信じちゃいけない、あと15分で頂上だから」と謎のアドバイスをしてくれて、そんなら行くかとまた歩き出す。途中の茶屋で買ったペットボトルのお茶が250円もした。今日は最近で一番暖かい日で、コートもいらないくらいだったが、山に入っていくにつれ気温が低くなり、かと言って着て歩くと暑くて汗をかき、それならと脱げば汗が冷えて寒くなり、着たり脱いだり忙しかった。

ひたすら鳥居をくぐりながら、仕事の話や、大学時代のことや、何やかや話す。歩きながらのことだからそんなに頭が回らない。久々で、もっと話すべきことがたくさんあるようにも思えたが、こうしてなぜか一緒に山登りして、途中で出会った猫をあやしたり、落ちてくる枝にびっくりしたり、それ以上に大事なことなどない気もした。あと少しで頂上に着きそうな勾配のきつい階段で、上から人が降りてきて、私たちの後ろから登ってくる知り合いに「ぜんぜん頂上って感じしない!がっかり」と大きな声で言っていた。そ、そんなー!といいながら駆け上がる。一時間かけて目指した山頂は、全然頂上って感じしなかった。

下山、参道の茶屋で休憩。私は餅の入った甘酒を飲み、友人はきなこオレを頼んだ。甘酒飲んだら、帰りに最寄り駅から家まで運転できなくなるから、との理由。甘酒はアルコールほぼ入ってないよと言ったが、なんか不安だからやめておく、ということだった。

駅に移動し、土産を買い、てっきり夕飯を食べるつもりでレストラン街に向かったが、きなこオレでお腹いっぱいだからと断られ、その辺のベンチに座ってだらだら喋った。そういえば二年半前に最後に会った日にも、どこかでお茶をと誘ったけど、今日はやめとこうと断られたのだったか。彼女が京都に来たことではじめて、ああ本当に、大きな脅威が過ぎ去りつつあるのだ、と思えた。三年もかかったのか、とも。

当初に乗るつもりだった電車より30分早い便で帰っていった。聞けば家族旅行以外で遠出するのは初めてだったらしく、となれば私は初めて一緒に旅行した友達で、何となく誇らしい。すぐにとはいかないかもしれないけど、また会える気がする。

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11/28

先週から昨日にかけて思い出すだけでちょっと体が光るようなことが沢山あって嬉しかった。それなのに、実家にいる間母にやさしくできなかったことばかり頭に引っかかって俯き気味になっている。

寝ても覚めてもわんわんとまくしたてていて、こんな人だっけか、と思う。いちいち取り合っていたらおかしくなりそうなので、テレビやスマホに熱中しているフリで聞き流しているうち、ああ実家に暮らしていた間もずっとこうだったな、と思い出した。こないだの母は調子がよくないタイミングで、妹も初めは楽しく受け答えしてるんだけど、話しているうちにだんだん雲行きが怪しくなり、終わりには大抵口げんかになった。駅まで車で送ってもらう間も何かずっと言っていて、私たち新幹線に乗る前に一服していくからとあてつけのつもりで言ったら、ママを仲間外れにするんだ、寂しい、もういいと言って帰って行った。

母はとにかくいつも何かを心配している。心配が高じて私たちの行動を制限したがったり、「外では言えないようなこと」を口走ったりして、その直後にはいつも、多分きまりが悪くて、ちょっと冗談を言おうとするんだけど、それもなんか間違えて、私たちの神経をわざわざ逆撫でするようなことを言う。本人にそのつもりはなく、とにかく不器用なのだ。またそれぞれ自分の部屋を持っていないので、話し続ける母から逃れて一階の居間から二階の仏間に移動することはできても、母は私たちを構いたくて、すぐに下から大声で呼んだり、上がってきたりしてしまう。実家に帰ると一人になれる場所がないこと、それが今になって辛い。辛いと思ってよかったのだと知った。

一緒に暮らしている祖母、つまり母の母も、やはりかなり不器用な人だけど、気が強いし、わりに一人が好きだから、付かず離れずで共同生活が営める。しかし母は、私たちに本当にやさしい。祖母は母に対して厳しい言葉を吐くことが多く、気の弱い母はそれが嫌で、私たちのことはものすごく甘やかす。わるいときには、8つの子どもみたいに構う。私にはもうそれがきつい。きついなーと言ったら、いい時はわかってくれるけど、なんで!こんなにしてあげてるのにヒドい!と子どもじみた声を出して嘆くこともある。面倒になって、またテレビに熱中するふりに戻る。

いちばんつらいのは、母の話をまともに聞きつづけてあげられる人が、母の周りに全然いないことだ。末っ子として育ってきて、やることなすこと、進学から結婚、何から何まで全て親や兄たちに口出しされてきた。母の話を終わりまでただ聞いてくれる人がいなかったから、私たちの話も途中で遮ってしまうのだと思う。私と妹は大学進学以降、お互いをよき話し相手、よき友人として再発見することができたし、友達ふくめ真面目に話を聞いてくれる他人が幾人かいてくれる。しかし母には、あの寂しがりには、やさしくしてくれる赤の他人が周りに全然いない。楽しいことに連れ出してくれる他人が、愛してるよと伝えてくれる他人がいない。私は母に親切にできない自分をわるいとは思わない。あの人には我々家族しかいない、とはけっして思わない。しかし、彼女が今いる現在は彼女が全部自分で十全な選択をした結果では到底ないから、つらい。選べなかった過去について愚痴を言われるたびにきつい。これは母と自分の問題を切り分けられていない証左になるのだろうか? 家族以外の他人を信頼できずに生きることは、とても息苦しいと思う。やるせなくて、動けないような気持ちになる。

11/19

本当は友達と三人でドライブに行く予定だったが、企画したやつが急に入院することになり、頓挫した。行くはずだったもう一人と、知らない駅前のでかいスーパーで待ち合わせして、ぶらぶらとお見舞いに行く。身内以外のお見舞いが初めてで、何を持っていけばいいか分からず戸惑ったが、ポケモンが好きだったのを思い出して、行きしなにポケセンに寄りフシギバナのぬいぐるみを買った、並んでる中で一番可愛かったので。もう一人に何を持ってきたか聞いたら遊戯王のパックを紙袋に入れてきていた。相手は25の大男である。

歩道橋の上を話しながらぷらぷらと行く。中心街から一キロほどしか離れていないその町は人通りが少なく、海風でしゃんと寒くて、光が充満して明るい。なんか正月みたいだとしきりに言った。海の近くの病院に辿り着き、警備室に面会申し込みをしようとしたら、予約してないとだめだと言われ、応対していた警備員さんの後ろにいた別の人から、そもそも家族以外はだめですよーと言われ、断られた。そんな話は全然聞いてない。入院している張本人に連絡を入れると、やっぱり全然聞いてないということだった。二時間かけて来た静かな病院の前で、どうしようもなくて腹を抱え笑う。

LINE越しに立ち上がる申し訳なさそうな表情で、せめて一階に降りられないか聞いてみるというから、少し待った。手術は無事に終わり、数日もすれば退院のはずで、今度のお見舞いも結構気軽に来てしまったが、いざ会えないとなると少し心細い気がして、もう帰ろ!焼肉行こ!とやけになった。そのうちにまたLINEが来て、やっぱり下に降りるのも難しいということだった。

来た道を引き返していたところ、病院近くの温泉施設の前まで向かえ、と連絡が入る。こえーよーと話しながら、海に面した道を通ってぐるりと病院の向こうへ周る。散歩しているポメラニアンと互いを気にしながらすれ違った。施設の前に着いたと言えば、今度は日陰から出て、旗の下に立て、と。言うとおりにして、病室のある5階を見上げると、あー見える見える、人影が。かろうじて誰かいるのがわかるくらいで顔は全く見えないが、手を振ると律儀に振り返してくる。あんまり面白くて大きな声が出た。こっちが元気づけに行ったはずなのに、この人のこういう気遣いはいつもこちらを明るい気持ちにしてくれて、ありがたい。明るい気持ちで駅まで戻って、美術館に行き、焼肉に行った。この日のことを丸ごとそのまま、なるべく長く覚えていたい。