11/17

柿と鶏肉の照り焼きを作って食べた。

https://www.kyounoryouri.jp/recipe/19008_柿と鶏肉の照り焼き.html

煮詰める時間のみきわめが甘くて水っぽくなってしまったが美味かった。切った直後はつんととがっていた角がとろりと溶けてまるくなった柿。

中途採用で入社した社員が隣の席に越してきて、1週間以上が過ぎた。もう30年ほど業界にいるというからベテランなのだが、物腰穏やかで控えめで、なんか理科の先生みたい。最近よく漫画を貸し借りしていて、今日も一冊戻ってくるかと思いきや、「あんまりすぐ読み終わっちゃったから、もう一度読みます」とのこと。借りた漫画の袋には一筆箋やカードが入っていて、ただ貸します、というだけの事務的な挨拶が書かれている。

11/13

テトリスのブロックがどんどん落ちてきて処理しきれず、首だけ出してやっと息できるくらいの隙間を最上部に残して、ぎりぎりでアウトを免れているような気分だった。ブロックはきわめて普通の速度で落ちてくるので、単にこちらの処理能力の問題である。もしくはフィールドがそもそも狭すぎる。残った空気をひゅるひゅる吸いながらメールの群をかき分けているとまた新しくメールが届き、開いてみたらいつも仕事を頼んでいるデザイナーさんからで、「こないだ飲み会で勧められた音楽なんでしたっけ、酔っ払って全然覚えてないです」とのこと。棒のブロック!一気に四段か五段は消えて、嬉々として関係ないアーティストまで勧める。そうこうしてるうちに昼になり、夜になった。帰りながら、職場でもらった柿の袋の重みを嬉しく思う。

今日から急に寒い。朝は何とかもったが、昼前ごろから冷たい雨が降り、昼飯を食いに出た瞬間からもう耐え難い。心の中で許せねえ…とか、あんまりこちらを舐めるなよ…とか呟きながら悪辣な顔で歩いていたら、先に退社していたアルバイトの子がジャンパーを頭からかぶって信号を待っているのに出くわす。「大丈夫?」とか「風邪引かないで」とか益にもならんこと話しかけて、とっさに傘を貸せなかったのが実に情けない。会社に戻れば置き傘だってあったのに。その後すぐに雨は止んだが、止んだとて。私ばかりがとんまで不親切だという気がする。昼は海老カレーを食べた。美味かった。

考えなければいけないことが二つくらいあるので素直に部屋の暖房をつける。

11/8

昨晩やたら落ち込んで2時までうだうだと起きていた。風呂上がりに裸のまま歯を磨き、うつむいて口を濯ぐときに乳首の影が二つ腹に落ち、その形が間抜けで面白かったので声を出して笑った。今日は朝から健康診断で、合法的に仕事をサボれるので前から楽しみにしていたが、蓋を開けてみるといつもより早く起きなければならなかった。コーヒーを淹れてたらバスを一本逃した。資源ごみは出せた。

健康診断のなされるがまま感、たらい回しにされる感じがスタンプラリーみたいで好きだ。人が少なかったらもっといいのにと思うが、水曜の朝から賑わいまくっている。前回待ち時間が結構あるのを知らなくて暇したから、今度は新書1冊持っといた。会場備え付けの本棚にNANA全巻揃ってるのに気づき惹かれたが、NANAは他のとこで読んだらいいだろ。テレビはNHK、国内で承認されている小児がんの薬が海外に比べて少ない問題を特集していて思わず見入る。それが終わるとみんなのうた、それからグレーテルのかまどと続き、「サザエさんの焼き芋」という素晴らしいテーマだったが途中で名前を呼ばれてそのまま見損ねた。

健診を終え、せっかくだから甘美なるサボりを目一杯享受しようと会場近くのカレー屋にキビキビと歩いて向かったものの、開店直前に着いた時点で5人くらい並んでいて、キビキビと諦めた。代わりにバス停近くで味噌団子を買って食べた。まだ暖かい。柔らかい。甘じょっぱい。ありがたいもの。

午後から出社して、大の大人5人でExcelの画面を見つめて20分くらい首を捻る時間がありおそろしかった。初めは面白かったがだんだん痺れが切れてきて、全員追い払って手元の紙にあれこれ書きつけながら数字と格闘し、結果、初めに入力した数値が間違っているという何ともあっけない真実に至り、脱力。他にすべきことが終わらずしばらく残業した。一瞬スマホをなくしたかに思われたが昼飯食ってたサイゼにあった。いっそ一度くらいなくしたほうが健康にはいいのではとよぎったが、出てきたら心底ホッとする。

帰宅後飯を食い、それから編み物。最近毎日1話ずつアマプラ上でレンタルして見ていたPOSEシーズン1を見終えてしまった。達成感と疲労にひたり、風呂に入らないまま毛布にくるまって日記を書き、途中で寝落ちた。たった今起きて、昨日茹でた鶏むねをまな板の上にそのまま放置していることを思い出して、もう布団から出られない。

11/6

2日間の休日出勤を終えてまた新しい月曜日。昨晩の打ち上げで日本酒をコップに並々二杯飲んだためかずっと心がざわざわしている。他人に対して何か本当らしいことを言いえた気がする翌日は誰にも会いたくないし誰とも話したくない。1人でずっとそのことばかり考えて反省したりしたい。飲みの場で開示する自分と普段の自分との間に整合性が取れているか不安、というのもある。や、ていうか終わりの方めちゃくちゃ酔っ払ってしまい、わざわざバス停まで一緒に来て、私の乗るバスを待っていてくれた先輩たちに対し、上半身を体操みたいにぐるぐる回してみせたのを覚えていていたたまれない。帰宅後、LINEで後輩を飯に誘ったのはあんまり覚えてなくて、朝になって気づいた。結局飲みすぎと低気圧か。

とりあえず出社して、メールなど書いて送って午前中をしのいだ。「つまらないことは気にしないで」という返信があり、その明確さがありがたい。

昼は王将であんかけ焼きそばを頼む。待っている間日記を書き、食べながら『トランスジェンダー入門』のトランス医療の章を読む。午後もぼうっとしてたら過ぎた。今日は欠勤者も多くなんとなくみんなダウナーな様子。

帰りにスーパーで買い物しながら何か食べたいものはないかと考えた時、かぼちゃプリンが降りてきた、はっきりと。食べたいものがパッと思いつくことがあまりないので嬉しく、うきうきとコンビニに寄り、二つあるうちの高い方を買った。モンブランクリームが乗ったやつ。自転車を会社に置いてきたので、明日はヘッドホンをして、音楽を聴きながら歩いて出社しようと思いついて、さらに嬉しくなる。本当言うと休みたい。

11/2

買い物から帰宅して友達と3時間うねうねと通話した後、そのまま編み物を続けながらNetflixで「トランスジェンダーとハリウッド」を見た。長いので半分くらいでやめにするつもりで再生したが、最後まで見ずにはいられない映像だった。トランスジェンダー当事者の俳優や映画制作者、ライターといった人々が、これまでの映画史、テレビ史に登場したトランス、あるいはトランスと思われるキャラクターの表象について語っていくノンフィクション。例えばサイコキラー役。「羊たちの沈黙」に登場するバッファロー・ビルに代表されるように、トランスの人々は精神を病み、無惨な殺人を繰り返す人物として度々描かれてきた。そのいっぽうで、かれらは度々画面の中で殺されもする。「自分も殺されるんだと思った」とかれらの1人は言う。

私自身の記憶を少し探ると、小学生の頃、受け口気味の女性芸人が容姿を笑われているのをテレビで見て、これを私が引き受けなければならないのかと不安になったことをすぐに思い出せる。幸い私にとっては致命的な傷にならず、(あくまで私の経験は)かれらの受けてきた差別や感じた孤独と同列に語るものでもないと思っているが、それでもその絶望を想像する手がかりにはなる。他者から笑われて当然の人間などおらず、つまりは人間扱いしてこなかった歴史が、観客の笑い声入りで映像にそのまま残っていて、むごい。

「こいつは男の格好をしているが、実は女性だ」「こいつは女の格好をしているが、本当は男性なのだ」と暴露されるシーン、人間的なコミュニケーションなど一切ないまま、他人によって胸をはだけさせられる。無理にペニスを露出させられる。そこだけ切り取ったシーンが次々に現れる。判で押したようにどれもこれも同じなのだ。作中ではきっと、センセーショナルで印象的なシーンとして位置付けられている。それがどれほど暴力的なことか、作り手は正確に測れているのだろうか?

9月に行われたカルタイで、「トランスジェンダーの物語とエンパワメント」というテーマを掲げるシンポジウムが行われ、アーカイブ映像を視聴した。最後の登壇者である水上文さんはトランスが登場する日本のフィクションを紹介し、その前提として不適切な表情の問題に言及された。偏見を流布することや極端なキャラクタライズにより他者化してしまうこと(メモに基づいて書いているが不正確かも)と共に、当事者の自己イメージ獲得を困難にする問題が語られていた。自分に似た人と出会えないままシスの規範を押し付けられ、適合することができないで、自分だけが変なのではないかと恐れる子どものことを考える。その子が、家族の見ているテレビや映画を見て、自分に似ているかも、と思ったキャラクターが、無惨に殺されたり、嘲笑われたり、レイプされたりするところを目の当たりにする場面を考える。それを見てやっぱり笑ったり、ひどいねーと無関心に呟く家族の横顔を目の当たりにする場面を考える。

ハリウッドでは「オレンジイズニューブラック」が、「POSE」がようやく制作されて、ヒットを飛ばした。じゃあ日本では? 私がかろうじて思い浮かべられる、トランスが登場する全国区の作品はもう、片手に数えられるくらいしかなくて、それも道化役だったり、恋愛相手から酷い目にあうような人しか思い出せない。近年、同性愛を主題にする作品ならば深夜ドラマなどで普通に見られるようになってきた気がする。しかしそれらの多くはイケメン俳優の登竜門になるような、キャラクターを消費するようなもので、かれらが普通に恋愛する様を見られる作品はまだ少ないと思う。(というか、ゲイもレズビアンも恋愛ばっかりしてるはずないのに、恋愛ものにばっかり出てくるのっておかしくない?)

「過度なポリティカルコレクトネス」がこのまま物語世界を覆い、「本来不要な」マイノリティを「配慮にもとづき」作品に出さなければいけない、そんな規範が生じればあるべき作品の姿をゆがめてしまう、というような言説がある。以前の私は、わかる部分もある、と思っていた。でも、マジョリティが制作してきたコンテンツは、マイノリティを消費し、慰みものにし、かれらがなりたいと思えるかれらを見つける機会を奪い続けてきた。確かに隣に存在するかれらの存在を透明化して、当たり前のように傷つけてきた長い歴史がある。かれらの物語世界における居場所は、すでに、十分に、用意されたといえるだろうか、と考えるとき、私は上記の言説に対して思い切り首を振りたくなる。

10/31

インテリア通販サイトの亡霊である。ニトリIKEA、無印、Lowya、unico、あとは近所の古道具屋のオンラインショップなどを隙あらばふらふらと巡り歩き、結局この目で見ないとわからんぜと投げ出す、を繰り返している。友人に部屋を片付けてもらって以来、もっと住み心地を追求しようという思いが余計に高まってしまった。

今はとにかく一人がけのゆったりした椅子が欲しくて、この話をするとかなり高確率で、二人がけくらいあった方がゆったりしていんじゃない?と言われる。じっさい買ってしばらくしたら結局そういうこと思いそうだし、あんた来たとき並んで座って映画見たりすんの、よさそうだよね。でもあたし一人の部屋に、あたしが本を読んだり編み物するためだけの椅子が待っている、という状況にどうしても憧れがある。自分一人のための椅子があったら、今よりなんぼか心強いんじゃないかという夢が消えないから、もう少しその路線で探す。友達来たときゃ代わるばんこに座ろう。

ここ数ヶ月不定期に立ち寄っていた近所の古道具屋で突然目についた木製の机があった。「古い塗装なので、水のついたコップなどを置き続けると跡がつくことがあります」と注意書きがあり少しひるむが、暖かい色合いやシンプルなかたちや下に行くにつれてささやかにすぼむ四つ足や、何より価格設定が絶妙で、たまたま財布に入ってた金ですぐに買えてしまった。

その日に届けてくれると言うので自転車すっ飛ばしてうちに戻り、しばらくそわそわしていたら今から行きます、と電話が入った。マンションの下でぼーっと待っていると、子どもを後ろに乗せた自転車が目の前を通りすぎ、漕ぎ手の顔がリアルめの灰色猫のペインティングで、今年一ハロウィンらしい出来事だった。机はその後すぐに来て、部屋の真ん中に置いてほれぼれする。この3年使ってきた折りたたみ机を、申し訳ない気持ちで折りたたみ、壁に立てかけたら埃のついた黒い天板が恨みがましそうである。もう二度とその場しのぎで家具買わないからよ。

夜は同僚二人から誘いがあり、またも自転車すっ飛ばす。寒くてパーカーのフードを被った。やめるのやめさせる会ですか!?と到着即言う、というのを行きしなに決め、実行したが、振り切れず少し滑った。あとなんか、一度言ったことを忘れないことと臨機応変なのを褒められた。マジでどこで誰と何するかによるんだなーと思って、とにかく真に受けて喜ぶ。

自分の慰めのために日記を書くのでネガばかりが堆積していくが、楽しいこともあります。

10/29

ここ2、3週間取り組んでいた仕事がどうにか手を離れ、達成感で心晴れやかかと思いきや、アドレナリン切れでかえって落ち込む。退職の決まった人と飲みに行き、その人が帰るのを見送ってからまた遅くまで飲み、二日酔いになったのもある。というかそっちが主原因か。寂しいですよーと言ったらいや寂しいよーと返してくれたが、目がきっぱりとしていて、もうどうやっても引き止められないとわかった。はなからそんなつもりないけど。その話を聞いてから、私がもっと立派で怖いもの知らずの若者で、どんどん上の人に提言して改革を起こせていたら…とか、どうしようもないこと考えていた。でも、責任感の強い彼女が今なら大丈夫と思えるくらい環境が整って、私もその一因になれたと言えるかもしれない。それならよかった。甲斐がある。やだなあ。やだよほんと。

昨日は日がな一日寝転んでドラマと漫画とバラエティを過剰摂取して寝続けた。唯一カーテンを変えたこととホットケーキを焼いたことだけが理想の休日的だったが、どうしても浮つけなかった。友達に部屋の写真を送ったが夜中まで返信がなく、普段ならそんなの全く気にならないのに不安で落ち込んだ。今日は外したカーテンを洗って、ホットケーキ制作の残骸も洗って、風呂に入って、まあ何かして過ごす。