先週から昨日にかけて思い出すだけでちょっと体が光るようなことが沢山あって嬉しかった。それなのに、実家にいる間母にやさしくできなかったことばかり頭に引っかかって俯き気味になっている。
寝ても覚めてもわんわんとまくしたてていて、こんな人だっけか、と思う。いちいち取り合っていたらおかしくなりそうなので、テレビやスマホに熱中しているフリで聞き流しているうち、ああ実家に暮らしていた間もずっとこうだったな、と思い出した。こないだの母は調子がよくないタイミングで、妹も初めは楽しく受け答えしてるんだけど、話しているうちにだんだん雲行きが怪しくなり、終わりには大抵口げんかになった。駅まで車で送ってもらう間も何かずっと言っていて、私たち新幹線に乗る前に一服していくからとあてつけのつもりで言ったら、ママを仲間外れにするんだ、寂しい、もういいと言って帰って行った。
母はとにかくいつも何かを心配している。心配が高じて私たちの行動を制限したがったり、「外では言えないようなこと」を口走ったりして、その直後にはいつも、多分きまりが悪くて、ちょっと冗談を言おうとするんだけど、それもなんか間違えて、私たちの神経をわざわざ逆撫でするようなことを言う。本人にそのつもりはなく、とにかく不器用なのだ。またそれぞれ自分の部屋を持っていないので、話し続ける母から逃れて一階の居間から二階の仏間に移動することはできても、母は私たちを構いたくて、すぐに下から大声で呼んだり、上がってきたりしてしまう。実家に帰ると一人になれる場所がないこと、それが今になって辛い。辛いと思ってよかったのだと知った。
一緒に暮らしている祖母、つまり母の母も、やはりかなり不器用な人だけど、気が強いし、わりに一人が好きだから、付かず離れずで共同生活が営める。しかし母は、私たちに本当にやさしい。祖母は母に対して厳しい言葉を吐くことが多く、気の弱い母はそれが嫌で、私たちのことはものすごく甘やかす。わるいときには、8つの子どもみたいに構う。私にはもうそれがきつい。きついなーと言ったら、いい時はわかってくれるけど、なんで!こんなにしてあげてるのにヒドい!と子どもじみた声を出して嘆くこともある。面倒になって、またテレビに熱中するふりに戻る。
いちばんつらいのは、母の話をまともに聞きつづけてあげられる人が、母の周りに全然いないことだ。末っ子として育ってきて、やることなすこと、進学から結婚、何から何まで全て親や兄たちに口出しされてきた。母の話を終わりまでただ聞いてくれる人がいなかったから、私たちの話も途中で遮ってしまうのだと思う。私と妹は大学進学以降、お互いをよき話し相手、よき友人として再発見することができたし、友達ふくめ真面目に話を聞いてくれる他人が幾人かいてくれる。しかし母には、あの寂しがりには、やさしくしてくれる赤の他人が周りに全然いない。楽しいことに連れ出してくれる他人が、愛してるよと伝えてくれる他人がいない。私は母に親切にできない自分をわるいとは思わない。あの人には我々家族しかいない、とはけっして思わない。しかし、彼女が今いる現在は彼女が全部自分で十全な選択をした結果では到底ないから、つらい。選べなかった過去について愚痴を言われるたびにきつい。これは母と自分の問題を切り分けられていない証左になるのだろうか? 家族以外の他人を信頼できずに生きることは、とても息苦しいと思う。やるせなくて、動けないような気持ちになる。