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今日の夕方、父方の祖父の訃報に接した。妹からのLINEで知った。父から電話が来た時には書店併設のカフェで『西瓜糖の日々』を読んでいて、着信には気づいたけど、出なかった。ただ単に億劫だったから。

店を出て妹に電話をした。話しているうちに涙声になっていくのが聞こえた。「口にしてみるとなんか実感がわいて来て、そこまで悲しくないはずだけど」と言った。私はというと一滴も涙が出ていない。もし、悲しくない、と言わせているのが私だったら、どうしよう? 一昨日の夜に上手く塗れたネイルを落とすのがすこし残念だ、とか考えている。火曜日に妹とやるはずだった手巻き寿司パーティー、延期だよなあ、とか。

小学生の頃は祖父母の家に行くのが結構好きだったと思う。行けばお寿司や苺などご馳走してくれたし、祖母からちやほやされたし、普段接さないお手伝いさんと少し喋ったりするのも、非日常ぽくて、好きだった。祖父が白衣を着ている姿の事はぼんやりとしか覚えていない。青い目をした猫の本をくれた。読書が好きで、寡黙で、文化的な匂いのする祖父のことをかっこいいと思った。今冷静に振り返ってみて、おじいちゃま、おばあちゃまと呼びかけて懐く幼子に対して、真っ当な祖父母をやってくれていたと思う。愛されていると感じた。少なくとも哀れみではなかったと思う。

暫らくしたら祖父はもう要介護の老人で、ほとんど一日中部屋の中にいるようだった。挨拶してきなさい、と言われて部屋を訪ねると、積み重なった本の中にうずもれるようにしてベッドがあり、妙に立派なヘッドホンをして、祖父が横たわっていた。見ていたのは動物系の番組だったか。こちらに気づくと、震える声で名前を呼んだ。最後に挨拶に行った時には、私と妹とを判別できなくなっていた。悲しくなかった。悲しむには既に薄まりすぎていたので。「家族葬」に私たちは含まれない。

当時の自分や妹の為に、祖父母には深く感謝したいので、出来れば通夜や葬儀には出てこようと思う。かれらを蔑ろにしたぶん、行けば傷つけるかもしれないし、塩を投げたり、そんなことが出来る人たちではないが、歓迎されないのは目に見えている。私も孫らしい哀悼の意を示すことなどできそうにない。そうしたことで傷つくのは、私よりむしろ妹や母だろうから、気が重い。仕事があまりに立て込んでいて、とか嘘をついて行かないのが、周りの為には正解かも知れない。

それでも帰ろうとしているのはなぜかと言えば、どこまでも自分本位なのだ私は。ここで逃げたという事実を作る方が、後々重くて、面倒だからだ。どんなに嫌な思いをしても、事の責任はぜんぶ向こうがわにある、と思っている。

 

(いや、事実を見過ごして、意味合いで相手を測ろうとしすぎているのではないのか? 実際にあった出来事を、あまりに蔑ろにしすぎていないか? 今の私の捉えようばかりに囚われていて、本当にいいのだろうか? どうしたものだろう、分からない。分からない。)

 

分からないまま訪れることに意味があると思いたい。一つでもいいから、自分の言葉で喋れたらいいと思う。祖父へ。私たちもっと違う関係性がありえたのでしょうか。ご冥福を。