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全部本当になるとはつまり、口にしたり書いたりしたことがたとえ事実と違っていても、声として、あるいは文章として生を受けたという事実が新たに生まれて、またそれらは事実をまるきり改変してしまうような実行力をもちうるということ。そういう嘘と本当と、どちらに本質的な価値があるとか、ないとか、簡単には言えないと思う。ということ。

生協ショップでおやつにクリームパンを買った。正確には「しあわせ届けるクリームパン」夕張メロン味である。ひとから好きな食べ物の話を聞いて、出かけた先で見かけるとついつい買ってしまう。一度や二度ではなくて、もしかしたらそいつが飽きてからもずっと、覚えている限りは選び取る。「しあわせ届けるクリームパン」も、妹が前に言っていたやつである。大体のものは美味しく食べられるし、今何が食べたいか探り当てるセンサーも性能低めなので、そういう動機がないと選べないというのもある。「しあわせ届けるクリームパン」はとても美味しいし、好きだけど、何回買って食べたとしても「あの時妹が言っていたクリームパン」で、決して私のものにならない。百閒は「森見登美彦が好きなひと」だし、森見登美彦は「中学の時にそよちゃんから教えてもらったひと」で、BUMP OF CHICKENは「コーラス部の友達が歌っていたバンド」だ。引っ掛かったのは私のフックなんだけど、そういうふうに始まったものはどこまで行っても「あの子が教えてくれたやつ」だという気がする。そんなこと言い始めたら他人と関わりなく存在する事物などあるはずないでしょう、あーいやそうかもしれないけど。「これは私だけのもの」といえるものがあるなら、何だろうなと考える。