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擦りむいた左の手のひらと右膝が痛くて5時くらいに目が覚め、今。自転車に乗るのもだいぶ慣れて、通勤通学路以外の道も走ってみることが多くなってきた。余裕が出てきた瞬間てきめんにこけまくる。昨日は車道から歩道へと段差を上がろうとして失敗した。三日前も、立ち漕ぎしてる人かっこいいなーと思って練習してたら案の定バランスを崩して、大通りから一本入った誰もいない道の真ん中で倒れて、その時は左手を擦った。何かをしくじる時の直前には、態勢を崩してからしくじりに至るまでの0.5秒間で、「こりゃダメかも」という予感と、「やっぱダメだ」という諦念が一時に駆け抜ける。自転車じゃなくても、お湯を盛大にこぼすとか、スマホをとり落とすとか。事が起きる瞬間には、既に事は起き始めていると知っていて、だから案外慌てない。東山仁王門の交差点近くで「やっぱダメか」と思いながら一人で立ち上がって、泣きもしなかった。ただバイト先に着いてから、皮の剥けた手のひらを多少見せびらかして回った。

借りた救急箱を漁っていると「大人になってから転ぶの怖くないですか」と聞かれて、考えてみたけどそうでもない。学習能力が落ちているのか、こけると悲しいということも治る度に忘れてしまう。痛いのはとても嫌いだし、今も眠りを阻まれたことにむかついてはいるけど、地面に投げ出される直前の、何が起こるかわからない不安定な世界に足を踏み入れるあの感じが、むしろ少し好きだなと思う。

去年の今頃に比べたら好奇心の働きが随分回復したと思う。正体不明の水たまりに、やたらめったら手を浸してまわりたい。ブレーキを緩めて坂を下る。バイト先へのメールに不要な挨拶をつけ加えてみる。新しいことに挑戦したいというか、転ぶ前のあの0.5秒に取りつかれている。

とはいえ目の前に人がいると途端に気が小さくなる。型にはまったコミュニケーションは大変楽で、楽してもそれなりのやった感があるし、そう簡単に外に出る気にはなれない。出たら出たで、復路は往路よりずっと険しいから後が面倒くさい。傷つくのも傷つけるのも挽回するには時間がかかる。でも、「これを言ったらどういう顔するだろう」と気になる気持ちはちゃんと知っているつもりだし、気になったそばから口に出てしまうような、欲望の要請に応える素直な身体、みたいなものにすごく惹かれる。ただ私は結局のところ長生きがしたい。いざという時に備えて心拍の節約をしてしまう。

物語は他者と出会わないと展開しないし進まない、みたいなことを椎名うみの対談記事で読んだ気がする。それは漫画のストーリーの話だったけど、実際の生活にも多分同じことは言える。ただそこでいう他者は別に、遠くの国にいてもとっくに死んでいても紙の上にいてもいい、犬でも猫でもカラスでもいい、ときには動物じゃないかもしれなくて山でも川でも石でもコピー機でもいい、正しさの順番なんか誰にもつけさせない、我々のいのちは他人に消費させるエンターテインメントではない……などと考えている時に星野源の「不思議」のMVを見たので妙な納得感があった。擦過傷って何度もいいたい。さっかしょう。サッカショウ。