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最近スマホを見ている時間がすごく長くなった。書きたい文章に全然着手できていない。インプットをしている(と思い込んでいる)うちはアウトプットをサボれるので、読んだり見たり聞いたりが過剰になる。そうして終わりどころが見つからない。よくない兆候だと思う。意志で何かを遂行したことがないので、無理にやめようと思ってやめられるものでもなく、どうにか気分をおびき寄せねばならない。朝一番にtwitter見るのをやめるとなんか一日いい感じ、というジンクスにもなっていないジンクスがあるのだが、明日はそれだけ頑張りたい。朝一番にtwitter見てしまう癖、三年前のインターネットずれしていなかった自分が呆れて泣いている。

あまり見ていて楽しいタイムラインでもないのだ。友人たちが試合観戦の興奮を伝えるツイート、今日の東京の感染者数を知らせるリツイート、一方的にフォローしている医療従事者が現況の厳しさを嘆くツイート、オリンピックに関係ない企業のツイート、それら全ての複合体はあちこちから手を伸ばして私の身体を引裂こうとする。実のところ、私に危害を加えようとする人物もいなければ、引裂かれる身体も持っていないのに。誰のものだかわからない辛さが生活の底を流れ続ける。

伊集院光の馬鹿力を聞いていたら東京五輪観戦について言及があったが、私は至極もっともだと思った。「手のひら返し」などと揶揄するけれど、スポーツを楽しむ、楽しみたいという態度と、五輪開催への政治的意見とは別のステージの問題で、メダルだって喜びたい人全員喜んでいいじゃんか。かといって、開催にずっと反対していて五輪の試合を見たくない人というのもいて当然で、その人たちにアスリートへのリスペクトどうこうを説くのは全くのお門違いである。自分の中である程度整理はついているつもりだけど、いざTLをスクロールしてみると、均質な外見をした長方形たち、壁一枚隔てて全然温度が違うので、行きつ戻りつしていると何やらめまいがしてくる(ここまで書いて、健康の為にさすがに努力した方がいい気もしてきた)。大きな溝が自分の足許に近づいて来ている感覚。

ちょっと落ち込んでいる風にして今日の怠惰を正当化したいが、単に面倒くさくて何もしなかっただけである。書留郵便が届く手はずになっていて、夕方になってもなかなか来ないので家から出られなかった。そのことで母親に電話して、ついでにワクチン接種券の転送を頼んだが、あまり芳しい返事が得られなかった。私の生殺与奪の権は私一人に握られるものであって、などとどこかの鬼殺隊員みたいなことを言いそうになったが、思い直してなるべく穏便に電話を切った。自分が悪いと思っていないときでも、家族、ひいては血縁者と上手くいっていない時は大体全部上手くいかない。胸の圧迫感も心なしか強まってきて、まとわりつくもやもやを早めに取っ払ってしまいたい。嫌な事ばかりじゃなかったよ、「私と村」、いつでも思い出して元気になる。描かれるモチーフどうしの関係性や出来事やその順序をあれこれ想像することはできるけど、キャンバスにはどこから見るのが正解とかないから、物語に還元されきらないところがいいんだなと思う。