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内田百閒著・谷中安規画『王様の背中』を読む。子どもが読んでも何が面白いのやら分からないだろうと思う話ばかりである。終わりに収録されている「お婆さんの引越し」なんか特に、これはですます調を改めたら、百閒学生時代の投稿写生文に似た気味があると思った。はしがきには次のようにある。

この本のお話には、教訓はなんにも含まれて居りませんから、皆さんは安心して読んで下さい。

どのお話も、ただ読んだ通りに受け取って下さればよろしいのです。

それがまた文章の正しい読み方なのです。

(内田百閒(2003)『居候匆匆/内田百閒集成14』筑摩書房

一読して大変怪しく、信用ならない感じがするが、しかし本人は例の真顔でこれを書いているのだろうと思う。大事なのは「書いてある通りに」ではなく、「読んだ通りに」だということ。プロの物書きが無責任に言えることではない。むしろ、全て引き受ける覚悟の結果がこれじゃないかと思う。ただ、『王様の背中』は児童書で、百閒が他の著作に関しても同様のはしがきを記したかと言えば、検討の必要があるだろう。最近研究もどきの活動をしていて安心したことがあって、というのは、「分からないことがあれば調べればいい」と分かってきたことだ。透徹した頭を持ち合わせているわけでもなく、知識も教養も読解力もロクに培ってこなかったけど、だからといって人並みに読めないわけではない。調べて考えれば、どうにか追いつける。人より時間がかかるというのは、まあこれだけはあきらめて、腹を据えねばなるまい。

最近行間に色々と任せきりにするような、無責任な文章ばかり書いてしまう。ふわふわとそこらじゅうに散らばって落ち着きのない、実生活の反映かしら。