5/14②

特に何事も起こらない平穏な日々だと思っていたものが、くるくると変転する目まぐるしい日々だったことを知る。ここのところやることがなく、もっと正確にいうならやるべきこともやる気が起きなくて、時たま授業に参加したり買い出しに出ていくほかは、紙を繰るかブルーライト浴びるか音楽聴くか皿洗うか食うか寝るかしてばかりである。ものを考えたり思い出したりする時間は増えたが、そうしたものは大抵思いついたその場で満足して、キュキュットの泡と一緒に排水口に流しておしまいにする。日記の中身がめちゃくちゃつまらない。血迷って詩とも読めなくもない何かをつけ始めた。自分が詩に向かないことは、中高時代につけていたノートやスマホのメモを後年見返して判明済みである。長く取っておけばネタにはなるなと打算的に考えて、それにスマホのデータは「千年残る水茎の跡」というわけにもいかないだろうから、両方どうにか抹殺せずに取ってある。

日記をつけ始めた理由は色々あって、後付け的なアレも結構含まれるので、明確に説明することが難しいが、一つには文章訓練の側面が確かにあった。身に起きたことなら書けるだろうと思って始めてみたら、いつの間にか身に起きたことしか書けなくなっていたのだが、それでもやらないよりはずっとよかったと思う。読み返せば単純に楽しいからである。

日記をつける日というのは、外側から気持ちが(良くも悪くも)大きく揺さぶられて、その後暫く何も手につかなくなって、無為から来る罪悪感でPCを開く、そういう日であることが多い。そういう時に書くから、内容にも愛着があるものが多い。毎日つけるつもりはハナからなく、というよりつけられないことは分かっていて、あまり気にしてこなかった。その代わり書くときは罪悪感が薄まるように、できるだけ丁寧に書こうと試みた。稚拙ではあるが、親たる自分にはかわいくて健気な文章たちである。時には殴り倒して「惚けてないでしっかりしなさい!バカチン!」と言いたくなるものもあるが、それも含めて愛である。人間だったらDV野郎だが、相手は非生物なので躊躇なく言ってのける。

それがどうだ。ここのところの日記は内省と言葉遊びのどちらかである。まるで日記だ。実につまらない。

もう少し丁寧に、生活を覗き込む。今日も皿を洗ったり本を読んだりタイムラインを追ったりするだけだった。タイムラインで見かけた、近頃すごく気になっている長谷川白紙の、先日行われたsecret skyでのライブ映像がべらぼうによくて、vrというのだろうか、顎から上だけ画角を出ている長谷川白紙のふにふに動く身体の奥には、えらく色鮮やかなフィールドが広がっていて、遊園地のアトラクションを極限まで抽象化したようなやつが、空間内を原色で走ったり飛んだり回ったりしていて、3Dモデリング特有ののっぺりとした質感にぞわぞわして、Lucy in the sky with diamondsをもっと都会的に、未来的にした世界観というのか、知覚が拡大されていく感じで、うまく言えないがとにかくよかった。で、パフォーマンスも言わずもがなで、音源よりすこし低音気味に歌っているところでグッときて、曲名を後で確認しなきゃいけないぞ、などと考えていたはずなのに、気がついたらベッドの上で髪の毛を振り乱して踊っていて、スプリングに負けてよろめいて転んだ。二階住みでつくづくよかった。暫くどきどきした。

……というようなことも、思い出してみればあるにはある。そういうのを「今日も何もなく」と言って甘んじて見過ごすのは、自分や時間に失礼だろうと思う。