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今日は例によって、無為から来る罪悪感で日記をつける日である。読んだ本は村上春樹羊をめぐる冒険・下』とちくまから出ている百閒集成三巻『冥途』。見たTVは「若おかみは小学生!」とドラえもんと、あと「野ブタ。をプロデュース」をちらっと。音楽はずっと柴田聡子を聴いていた。「しばたさとこ島」はサブスクで配信されていなくて、PCには落としてあるけれどもなかなか聞かない。昼間に「カープファンの子」の動画をYouTubeで只管漁った後で、音源をまたループして聞いていた。

https://www.youtube.com/watch?v=7ooPHHKi1N4

謎のリング上でカウントをとりながら呪詛とも試合終盤の声援ともつかない声を振り絞る柴田聡子を見ていて、落ち着かなくなってトイレで用を足し、風呂場にこもって、大きい声であれこれ歌った。一人で歌うのは楽しいけど、やっぱりちょっとつまらない。四条河原町の交差点ど真ん中に立ち尽くして、誰の耳にも止まらないくらい些細で平凡な悪口を叫びたい。顎を空に向けてつばを飛ばしまくりながら、山越え谷越え関門海峡を走り抜け、洞海湾の向こう側まで、わんわん響くくらいのやつ。人前で大声を出したり歌ったりするの、どういう気持ちがするだろうなと、ずっと昔から考えている。元いた場所を逸脱してできた隙間を吹き抜ける風のこと。随分胸がすっとするんじゃないかしら。

動画関連でいうと、apple musicで「今を生きて」のMVをフルで見られるということに、遅まきながら気が付いた。見た。胸がくしゃくしゃになってしまった。高校時代、明らかにキッチン用品ではないナイフでハムを切る高良健吾を見て、「これがやりたい」と強烈に思ったことを思い出す。受験勉強のモチベーションは、こういう大学生活を送れるようになる、その一点だったといっても過言ではない。今考えるとちょっとゾッとするが、余程森見登美彦に毒されていたのである。当時の自分に会えたら、「それなりに叶ってるぞー」と言ってやる。ハムはまだ実現していない。

こんな自堕落な生活しておいてどの口が、と思われるかもしれないが、「ひどく懐かしくて、既に失われようとしているもの」として目に映り、驚いたのだった。酒の抜けない頭で今日をやり過ごして、次の日に響くことは承知の上で、またずるずると同じ場所にもつれ込む。これに似たものは今後も幾度となく目撃する、というか渦中に身を置くことになるだろうが、MVに出てくる人たちのあんな、「今が一番だ!」って声高に叫ぶような笑い方、少し前から難しくなった自覚がある。随分後ろ向きに聞こえるけれども、そうではなくて、うーーーむ。先延ばしにしていた焦りとか、その場の楽しさを優先させて、輪とか場の中に放り投げていた自分のことを、もう少し自覚的に引き受けたくなったのだと思う。自分が無条件にかわいくなった。そうした振る舞いもまた、数年後にはお笑い種で、ずっとそれの繰り返しなのやもしれぬ。

幾人かの友人たちが私より先に寝袋を滑り出て、自宅に帰って顔を洗って、さっぱりした顔をしてどこかに働きに行く。私はもう少し、朝が来てもぐずぐずとこたつの中に留まって、綿布団のほつれをいじくりながら、彼らの事を羨ましく思ったり、裏切られた気分になったり、情けなくなったり、甘い満足感に浸ったり、一通りの感情を通り抜けたところで、ようやく外に出る。何が言いたいかと言えば、「今を生きて」のMVはとてもいい、ということ(こんな風に書きながら先日の友人宅での失敗を思い出し、ますます「どの口が……」という気持ちになった。彼らがいる限り、しばらくは当事者なのかもしれない)。

明日こそ発表の準備を始めなければならないので早めに寝たいが、BOPのライブ映像が公開されていることについさっき気付いてしまい、暗雲立ち込めている。また音楽の方に寄っている。