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一昨日だったろうか、散髪した後、パスポートセンターから帰るその道の車中で、何となく体がだるいなと感じて、母親に相談したのが運のつき、それからずっと実家の二階にいて、悠々自適の引きこもり生活である。倦怠感は、何のことはない、単なる生理直前の体の不調で、確かに体温も普段よりは高いけれど、37.2℃を超すことはないし、咳もでなけりゃ鼻水も、兎に角至極元気なのである。昨日から妹や祖母とはロクに顔を合わせていないし、久しぶりに会うはずだった友人との約束もキャンセルした。万一移すようなことがあったら合わせる顔がない、そりゃあそう、今は単なる潜伏期間で、ほのかなかすかな不具合はその予兆かもしれない、そりゃあそうだ、そうなのだけれど。COVID-19、つくづく恨めしい。

今日はあの子の命日だから(そのはずだ)、昨日の夜なんかは厳かに、気持ち静かに過ごそうと考えていたんだけど、結局ちょっと勉強して、飲んで食って、本読んで、インスタで配信された柴田聡子のライブ見て、今に至る。いつもと何も変わりやしない。階下に降りると祖母や妹がぎょっとした顔でこっちを見て「あんた、どうしてマスクつけないの」って、だってこんなに元気なんですよ。あなた方に危害を加えようなんて、これっぽっちも思ってないのに。ただ仲良くしたいだけなのに!……なんて言う訳もなく、だけど何となく悲しくて癪だから、「ウガー、私が触った食べ物はもう誰も食べられないぞー」と叫び散らしておやつを漁り、抱えていそいそと二階に逃げ帰る。泣いた赤鬼の気持ちを思う。同類相憐れむというやつである。

早いもので二年が経った。あの子と仲良くしていた期間も、高2から高3の間、やっぱりせいぜい二年ぽっちで、どんどんいない時間のほうが大きくなっていく。そういうことじゃないのかもしれないけど、そういうことでもあると思う。去年の今日はどうやって過ごしたっけ。6日に帰省して、晴れていたから外に出て、近所を散歩したんだっけ。母校にも立ち寄ったような気がする。図書館の先生とは何を話したんだっけ。東直子の『とりつくしま』を教えてもらったのが、ちょうどその日だったような。この前友人と話しているときに東さんの名前が出て、どこかで聞いたことがあったよなあと思って調べてみたら、ああなんて大事な名前を忘れていたんだろう、情けなくって涙が出た。いつも強気な友人が少しおろおろしていて、申し訳ないけど、ちょっと面白かった。

無理に感傷的になるのも違うよな、と思って放っておいたら、やっぱりセンチメンタルは降りてこない。何となく、刷毛で軽くなでつけたような懐かしさ。あの子と仲の良かった私の延長線上に私はいるけど、同時に、あの子と仲の良かった私は独立してあの時間の中にいて、まだいて、そこにはあの子もちゃんといて、そうやって言うのが一番正しい気がする、今は。勿論今だって会えるもんなら会いたい。『かぐや姫の物語』に出てくる女童の髪型が似合うって言われたことがあるから、「髪の毛長い方が好きなのに」って少し不服そうな顔をする。そうしたら私は少しショックを受けて、「でも今の髪型が人生で一番気に入ってる、かもしれない」ってしりすぼみに小さくなる声で反論して、そしたら何て言われるだろうか、ここから先が上手く想像できない。多分そんなに悪い返事は返ってこない。あーあ、会いたいな。

今日の夕飯はうなぎらしい。食べたら少し勉強する。明日は朝から友達に会う。好きな髪形で会えるから嬉しい。会いたい人には会える時に会う。当たり前のことを何度も確かめる。