8/17

この一週間のうちに随分映画を見た。ほとんどがアニメーション映画である。

 

この世界の片隅に

そうして私たちはプールに金魚を、

We are little zombies

海獣の子供

ペンギン・ハイウェイ

千と千尋の神隠し

 

こうしてみるとやけに魚とか海がモチーフになったものが多い。それとも今まで気づいていなかっただけで、全ての映画に魚とか海とかは出てくるのだろうか。命の始祖、母として。そうかもしれぬ。そんな気もする。

昨日は九時過ぎに目を覚まして図書館に行き、暗夜行路の途中からお尻まで読んだが、何だか納得いかないので正義派とか范の犯罪とか城の崎にてとか和解とか、名の知れたものをいくつか読んだ。その後で、「やっぱり志賀直哉は短編だ」とか分かったようなことを思った。和解も中編小説と呼べる長さを持つものだが、私にはあまり面白くなかった。時任謙作にはようよう同情しがたい。何かあればすぐに転居するので羨ましい反面腹が立った。打ちのめされたとか気分が乗らないとか言って、小説を書く気配がないのだ。「働け若者!その懊悩を書け!それがあなたの仕事ではないか!」読んでばかりで何も生み出さない自分のことは棚に上げて、そんなことをずっと考えていた。

志賀直哉は短ければ短いほど面白いような気がした。灰色の月が一等よかった。

五時ごろまで志賀直哉と格闘して疲れたから図書館を出て、途中寄った青果店で味噌と豆腐とトマトを買って帰った。ちょうど五山の送り火の日だったから、夕方の駅周辺はたいへん混雑して、商店街はおまつりの様になっていた。いくつか出店も出ていたように思う。私はかき氷と少し迷って、結局ソフトクリームを買って食べた。豆乳味で口の中がさっぱりして、大変良い気持ちになった。

自炊ということをほとんどしない質である。作るだけならいいが、片付け皿洗い等が面倒くさい。何か自分で作らねば食えないようなものを食いたくなった時だけ作って、後は買ったり、外で食ったりして済ます。その方が自分にも地球にも優しいような気がする。おとといくらいに海獣の子供を見て、アングラードが空達と一緒に夕飯を作るシーンがとてもよかった。得体のしれない黄緑色のさいころをかき混ぜたり(タルタルソース的なものだったのではないかと推測する)こねて蒸したらふわふわになったり葉でくるんで火にかけたらさっきまで生きていたエビが旨そうな蒸し海老になったり、見るも鮮やかな光景だった。「料理というのは人間に残された数少ない魔法かな」と思いついて、その魔法を手放すのはやはり惜しいことをしているような気になって、昨日は久方ぶりに料理(ともいえないようなものだが)をした。ナスを揚げ焼きにしたものと豆腐を一緒に痛めて、甘味噌で和えた。サラダ油を使いすぎて、脂っこくて食えたものではなかった。勿体ないので綺麗に平らげた。

八時から千と千尋の神隠しがある事はきちんとリサーチ済みだった。ちょうど送り火と同じタイミングだったので、送り火の方をあきらめるつもりにしていたが、千尋の両親が屋台の料理を食って豚に変わってしまうところがどうしても怖くて、直前で部屋から逃げ出した。屋上に上がると結構にぎわっていて、しかし私の様に一人で上がってきた子も見受けられた。私は大文字・法・妙・舟形・左大文字に取り囲まれて逃げ場をなくし、「ひえー」と思った。つまり、鳥居以外は全部見えたのだ。この幸運をこの二年無にしていたかと思うと、もう一度「ひえー」と心中うなった。

千と千尋の神隠しは本当にすごい。千尋と言葉なき者が心を通わせるシーンが特にいい。嬉しくなって外に飛び出して、コンビニでカルピスサワーを買って河原へ出た。満月が低いところに浮かんで、雲の網目をはっきりと地面に透かしていた。ぴかぴか光る一輪車みたいのに乗ったドレッドのお兄さんがなんかもにゃもにゃ言いながら片手をあげて、私の前を通り過ぎた。私は勝手に”Hi, pretty!” と言われたのだと思い込んで、無言で片手をあげて応じた。恥ずかしくなってしまったのである。そのあと飲み屋の店先で店員のギター演奏を聴いている酔っ払いにも声を掛けられたが、これも恥ずかしくて逃げてしまった。うまくいけばビールのご相伴に預かれたと思う。惜しいことをした。

うちに帰って凪のお暇を見て寝た。いい日だった。