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新たな元号が始まったその日は7時過ぎに目を覚ました。UFOじみた形の酸っぱいパンにはちみつを塗り、モソモソと食べる。目覚ましは既に何度も鳴っているのに、妹はまだ起きる気配もない。「まだ起こさなくていいよ」母は言う。「あと30分くらいは、寝てていい」ああ、そう、とか適当に相槌を打ちながら、昨日電話口で交わした昼過ぎの約束は、多分果たせないだろう、と思う。

その日は父方の祖母の家に行く日で、結局家を出た頃には10時近くになっていた。

先だっての大雨の影響で、普段使っている路線は停止状態にあって、新幹線と地下鉄、高速バスを乗り継ぐ必要があった。事前に時間等を調べないから、その場について初めて何時発に乗れるかがわかる。バスが出るまでには1時間ほど間があったから、スターバックスで暇をつぶす。前から飲みたがっていた新作のフラペチーノを、妹は満足そうに写真に収めている。周りの客も写真を撮ったり本を読んだり忙しそうだ。私も、今月中には読もうと思っている「奥の細道」の文庫を鞄に入れてきてはいるが、どうも読む気になれない。あたりをきょろきょろしながら間抜けづらでフラペチーノをすする。洒落たカフェで出てくる苺のかき氷を溶かしたみたいなやつだった。それなら私はかき氷が食べたいなあ、と、急に夏が待ち遠しくなる。程なくしてバスは来た。私はずっと窓にもたれて眠っていた。

結局ついたのは2時過ぎで、出迎えてくれたのは祖母とお手伝いさん2人だった。いつもなら玄関先で別れる母なのに、その日は珍しく家にあがった。タクシーを待たせていたから、本当に直前まで迷っていたのだと思う。料金を払いに戻ったから私は先に奥に向かおうとしたが、妹に「待った方がいいんじゃない」と引き留められる。こういう時には本当によく気づくやつだと思う。朝起きる才能はないけれど、肉親を思いやる気持ちというか、察しの良さというか、兎に角彼女にはかなわない。私は寝起きはいいけれど、やっぱりどこか足りないんだと思う。

祖母はお寿司の出前を取ってくれていた。茶碗蒸しがひどく冷めていたから、かなり待たせてしまったんだ、とわかる。少し申し訳ない気がした。祖母の家の居間は、一段高い畳敷きのエリアと板敷のエリアに分かれていて、私たちはすぐに畳にあがり、掘りごたつに入って、置いてある寿司に手を付ける。祖母はフローリングに置かれた椅子に腰を下ろす。そこが定位置になっているのだ。母は久しぶりということもあって、畳板敷の間で何やらもぞもぞしている。お茶とかケーキを出されているのに、一向に口にしようとしない。祖母やお手伝いさんが「食べてください」と何度も言うのに、「いや、私は……」とか、「もう、大丈夫なので……」とか、全然はっきりしない。私は聞きながらひどくいらだって、目の前の寿司をほおばる。これでは、祖母の家で出されるものは食べられないといっているようなものではないか。少なくともお手伝いさんが作ってくれたものくらいは食べなくちゃ失礼だろう、だって赤の他人なのだ。私は母のこういう潔癖さが少し苦手だ。何度もせっつかれて、ようやく母が口にしたのはお茶とケーキと筍の煮つけ、祖母がしきりに薦めた寿司は一つしか食べなかった。

 

祖父の方にも少し顔を出した。祖父の部屋は2階の左突き当りにあって、ドアを開けると大きなヘッドホンをつけた祖父がベッドに横たわって寝ていた。私たちに気づくとすこし上体を起こし、にこーとする。「こんにちは!」と声を張って挨拶する。祖父の耳はかなり遠くなっていて、普通の声では聞こえない。以前父が同じように祖父に話しかけているのを見て、かなり驚いてしまったけれど、今度は私がそうして話す。母でも妹でもなくて、私がそうしなくちゃいけないのだととっさに気づいてしまった。「妹も大学に入ったんですー」「へえ、どこに」「D大学!」「きこえない」「D大学!」「そうか」にこー。もう話すことがない。おもむろに祖父が、みていたTVを指さす。のぞき込んだら、ペンギンが群れをなして、南極の海に順繰りに飛び込んでいく場面だった。「ペンギンだ」と思わずつぶやく。祖父はTVの内容には触れず、「ありがとねー」と言ってくる。退いてくれ、の意と解して、おとなしく部屋を出た。何だか神様と喋ったような気持がした。多分、私は顔も名前も忘れられてしまった。小学校の時分診察室に顔を出すと、私の名前を読んで「よく来たね」と笑ってくれた。「あなたは本が好きだから」と絵本をくれた祖父には、多分もう会えない。その代わりに私のおじいちゃまは、神様とか仙人とか、そういうものに近くなった。

祖母の方は相変わらず、話すのが好きな人で、きちんと私たちの名前を呼んでくれるけれど、畳と板との間に深い深い海溝が走っているようで、私たちは決して定位置を崩さずに話を続けた。私は「毎日電話をかけないでほしいこと」「食べ物の仕送りは二月に一度でいいこと」を言いだそうとして、結局言えなかった。「それだけが楽しみなのよ」と真顔いう祖母の目は終始庭のほうに向いていて、高齢の祖母のための特別食らしいカッテージチーズと薬液を口にするときだけ、ひどくゆがんだ。

ケーキと果物を食べたら今度は、「病院の方にいきなさい」という。父に会ってこいという意味だ。妹と私は母を居間に置き去りにして、父のいる診察室に向かう。病院は休診日で、待合室もトイレもどこもかしこも空っぽだ。とはいえ患者さんがいるときに来たことがないから、不自然は感じない。父はポロシャツにジーパンで、PCに向かって待っていた。少し太ったかな、と思うが、前の姿をよく覚えていないので何とも言い難い。学校の事と進路の事、妹と同じアパートに暮らしていることをぽつぽつ喋る。「就職する場所、なるべく西の方にしてね」などと言われた。私は名前にさん付けしてくる父の語り口に少しいらだって、でもこちらも終始敬語で喋っているのだからお互い様だな、と思った。20分くらいして部屋を出たあと、「お姉ちゃんは就活とかで愛想がないせいで落とされるかもしれないよ!」と妹。どうして一親等と話すのと就職活動の面接が同じだろうか、そんなはずないだろうと反論しかけて、やめた。私たちはそういう風に、状況をそのまま飲み込むことで順応してきたのだ。居間に戻ると母がうつむいてお茶を飲んでいて、私たちに気づくとちょっと安心したように笑った。

 

5時前には祖母の家を出た。駅で地酒を買って、再びバスに乗り、眼を閉じる。今日の夕飯何だろう、とか、今度来るのはいつになるだろう、とか考える。