4/13

植物も自分も大概同じようなものだと思っているから、切り花用に買った鋏で平気な顔して前髪を切る。というのは後から見つけた理由で、単に鋏が足りないのである。目の下まで伸びていたのを2か月ぶりに短くしたら、到底22歳には見えなくなった。今の私の顔は、ちょっと老成した16歳か、幼顔の46歳にしか見えない。高校の友人から「年とっても変わってなさそう」と言われていたのを思い出す。あれから随分色んなことが変わったが、なんというか、決して単線的な変化ではないから、それと時間の経過とがうまく結びつかない。しかし確かに時は進んでいる。たったひとりの妹が20歳になったらしい。

昨日、あいつを新居に招いて、ちょっとしたパーティーをした。持っていたローテーブルを処分してしまったから、まだ開いていない段ボールに布を引いて、その上に頼んだピザやらポテトやらをばーっと広げたら、随分祝い事らしくなった。事前に三件隣の酒屋で飲み物をそろえたが、一人一本缶チューハイを買った。月曜日らしく控え目なのである。

食べ物は十分あったけど、私が「ここの品ぞろえはすごいから」とお菓子コーナーに導いたら、まんまと買っていやがった。お前は食いしん坊だなあとからかいながら、同じく食いしん坊である私は、心中しめしめとほくそえんでいるのである。真っすぐに「これがやりたい」という係は、全部妹に任せて来た。駄菓子が並ぶ棚のあたりでベビースターラーメンを見かけて、物欲しそうに見ていたら、「ちっちゃい頃から好きやねえ、なんでそんなに好きなんかね」と呆れたように言われた。ベビースターは買わなかった。

youtubeやら何やら見ながら、ひとしきり飲み食いして、「案外ちかい。また来るわ」と言い残して8時半ごろ帰っていった。光の箱に乗りこんで、真っ黒い坂道を滑り落ちて行く妹のこと、あいつももう20歳だから、見送らないですぐに帰った。

 

4/4

9時には起きたが起き上がれず、布団の中でずっとyoutubeを見ていたら昼になった。ももクロの「PLAY!」というオンラインライブの一部が公開されているのだが、それらを見るかぎりクオリティが恐ろしく高い。演出もすごいが、すごい演出に存在感で負けないももクロさん達がすごい。Decoration、百田夏菜子がサングラスを外す瞬間を昨日と今日で30回くらい見た。

スタダやハロプロには惹かれるのに48や坂に打ち込めない理由を考えるが答えは出ない。綺麗な女の子たちに「僕」の曲を強制する感じが受け付けないとか、スタダは強い「キャラ」を付与するけど自我が芽生えてそこから離れて行く彼女らを見るのが好きだなとか、あるいは私が根本的にロリコンなのかもしれないとか、色々思いつきはするがよく分からない。タイミングがまだ合わないだけで、これから櫻坂にドはまりすることだってあるかも。だとしたら私にとってのエビ中のプライオリティって何? 大事な人たちだから、タイミング以外に特別な理由をもっていたい。それにしても、アイドルに入れ込む時期はあまり精神的に望ましい状態ではない時期だと知っているから、ちょっと怖い。

リネン類とトイレのスリッパを新調したくて、この良品週間を逃すわけにはいかなかった。15時ごろ何とか着替えて玄関を出たら、一面の曇り空からやわらかい雨が降っているのが見えた。私は雨に降られるのではなく、ましてや降らせるわけもなく、ちょうど目線が雨と同じだった。五階に引っ越せてよかったなと思う。

北大路までバスで20分くらいかかる。朝からほとんど何も食べていなかったので、着いて早々コメダに入り、味噌カツパンを頼む。最初の一口は美味しかったけど、あまりのボリュームと苦手なからしマヨネーズとで、最後の一切れを食べてる最中かなり辟易してしまった。無印良品はやはり人が多かった。キッチンコーナーで若い父親が金ざるを指し「こんなん高うて買えへんわ、ニトリ行こニトリ…」と叫ぶのを聞いた。

二時間程度で買い物は済み、家に帰ってきたがそれからの記憶がなく、今に至る。明日から遠出するが、予定はなにも決まっていない。

 

3/15

昨日の夜公園で友達と2時間くらい話をして、これまでの彼女の怒りとかやるせなさとか、全くわかっていなかったんだと気づいた。この四年間で一番多くのことを話した友人なのに、私は多分、彼女の話の半分も理解できていなかった。恥ずかしくて悔しくて、「今からそいつら全員殴りにいこう」って、少し冗談交じりに(9割は本気で)言ったけど、「それはいいよ」って苦笑していた。私はとても情けない。

本を読んだり人と話して新しいことに気づくのは、すごく楽しいけどすごく痛い。自分の浅慮を少しずつ認められるようになったのはごく最近のことで、そのせいでどれだけの人を呆れさせてきたか、見て見ぬふりをさせてきたのか、計り知れなくて途方に暮れる。「気づかないよりはずっとよかった」と何度も口の中で繰り返し、自分に向かって言ってやる。気づかないよりはずっとよかったし、言ってやらないと少し前の自分は目も当てられないから。

自分が心底楽しいと思えている時、周りのみんなも同じように楽しいはずで、楽しめない人は自分の意志で「みんな」から距離を置いているんだろうし、それでいいのだと思っていた。全員と仲良くしたいのは本当だったけど、「みんな」に入ってこない人とは、私個人が一本繋がっていればよいのだと思っていて、「みんな」っぽくない彼らたちと関係を保てる自分に、多分ちょっと酔っていた。人のことがどうでもいいのは今もそう変わりないけれど、せめて一番近くにいる友達のことくらいは気づきたかった。頭がぼうっとする。

もっと沢山本を読んで、考えて、賢くなりたい。諦めた顔を見るのはつらい。わかりたいよ。

3/6

今日は全く部屋から出ていない。昨日から風呂にも入っていない。新潟駅で買ったブラウニー、誰かへのおみやげにするつもりだったけれど、結局自分で食べてしまった。せめぎあいのポーズがお上手なこと。小さなころからそうなのよ。

今日は家具屋と電気屋と母親に電話して、外に出て服と本とお猪口を買って、玉ねぎを二玉みじんぎりにするつもりだった。全部まだできていない。最近一人でいるのが苦手で、誰かと楽しくご飯を食べたあと、すぐに誰かに電話したりする。自分でものを考えるのが、考えられないのが怖いんだと思う。かといって、ぼーっとする時間があるとすぐに自分のことばかり考えてしまう。もっと薄まって広がりたいし、何か別のものになりたい。絵を描く人って、絵を描くことそのものになっていく感じがする。絵を描くことに自分を見出して、変わった自分もまた絵になって、みたいな。そういうのないかもしれないな。

ずっと同じことを繰り返している気がする。少し前にも同じように誰かを追い詰めた気がするな。そんなつもりはないけどな。本当は全部どうでもいいから、例えば明日の朝、銭湯に行きませんか?って言いたい。時間の経過が全部解決するはずだけど、うまく世の中に組み込まれるには世の中の時間に合わせないといけないことが多い。私とあなたのタイミングが合うとは限らないというのに。全員違う星に暮らしていると思ったらいいのかもしれないな。

2/24

昼飯を食べながら引越し業者に連絡をとって段ボール配送を段取り、だんだん。延滞している本を読み終えてから返そうと思い、バイト終わりに図書館にきたはいいが、終始眠たくて全然読み終わらなかった。ちなみに『ナチスのキッチン』である。銃後の主婦たちに向けたプロパガンダ、思い出すのは「この世界の片隅に」ですずさんが実践していた野草食や楠木公飯で、たしか雑誌を参考にして作っていたと思う。リホツキーにみられるような台所デザインをはじめとする徹底的な効率化の動きと、ナチスの方針には若干のずれがあったようだが、舞台を日本に移して同じような研究ができそう、というか既にあるだろうか。

今からすぐに図書館を出てバイトに向かわなければならない。窓際の席でこれを書いていて、さっきから西日がブラインドの隙間を通って後頭部にぶつかっている。風は結構冷たい。歩いていても寝ていても、遠くの方でずっと眉根をよせながら、愛をかたちにしたいんやと念じ続ける。

2/7

解決しようとか、あるいは回復しようだとか、何か今そういうのじゃない。一日中ベッドから起き上がれなくて、大根を煮ている間だけ台所に立てたけど、その後ズルズルとアイドルのMVを見続けていたら夜になった。最低、よくならなくちゃと思う一方で、どうして最低だなんて言える、と腹の底から低い声。自分の状態に良し悪しの評価を下して、悪い時には浮上するための幾つかの決められたメソッド、機械じゃあるまいし、原因がはっきりしているわけでもないのだから、身体のことをそんな風に解決しようとするのは何か、自然の摂理に反してる気がする。こんな風に言えるのは、今私が直近のタスクを持っていなくて、一日二日ぼうっとしていても誰に迷惑をかけるわけでもないからだ。だけどさっき母親から電話が来て、落ち込んでいることを伝えたところあれこれと要因を探ろうとしてきて、あーそうじゃない、そういうんじゃないのだと力なく答え、早々に切った。悪いなと思ってる。

原因じゃないけどきっかけはあって、昨日久々に会った友達とからふね屋でご飯を食べているとき、「もともとそこまで仲良くないからね」って言われて、ハチャメチャにへこんでしまったのだった。友達じゃないと言われた訳ではもちろんなく、ただその子にとって私は元いたサークルで同期だったやつに過ぎなかったことを知らされて、私の方は彼女がすごく好きだから、みくりが言ってたこととか思い出して、一日遅れて今朝へこんだ。面と向かって距離を示されたことは今までにも何回かあったけど、多くは私にもそれと知れていた距離のことで、だけど今回はすぐそこにいると思っていた人が急速に離れて行ってしまったので、びっくりしたし、辛かった。確かに以前から業務以外の会話が成立しない気味はあった。多くは私の発言が考えなしだったり、急に恥ずかしくなって自己反省するのが原因だったような気がする。あまりに立派な人なのだ。彼女の言う事がよくわからない時もあった。わからない時、わからないんだけどってきちんと引っかかっていた方が、もっと仲良くなれていたのかも知れない。今後そういうふうに心がければ、案外半年後くらいには「いつの間にこんなに仲良くなったんだろうね」なんて話せているかもしれない。わからないけど、今は少し、この4年間のことを思い出して落ち込む。

長くて細い糸を手繰っている。選択肢の中から一つ選び取っているというより、ずっと続いている一本の糸の案内に従って、ここまで来たような気がしている。今が投げやりな気持だから、20年間の自分の選択とか全部無視してそんな風に思ってしまうのかもしれない。目標に向かって努力してるらしいあの子の前で、「私も頑張らなくちゃな」とそれらしくうそぶきながら、腹の底であの低い声が不満気な声をあげるのだった。選ばれるために選ぶふりをするのか。

バッド入ってる自分を切り捨てないことと、色々よくなろうとすることとは両立できないものかと考える。この辺のことを上手く言語化できない。訓練が必要。