7/8

昨日2時までグズグズ起きていたせいで寝坊した。テレビをつけたら連日の豪雨のせいで日田が水浸しになっていて、慌てて祖母に電話をかけたが、どうやら被害はなかったらしい。災害より宅配物のことを心配しているようだった。ひとまず安心したのでわかめと春雨の酢の物と卵かけご飯一合分を食べた。一時間くらい三限の予習をして、授業中に二つ質問したが、どちらも少々的外れだったと思う。

四限は掲示板にコメントを残すと出席扱いになる。取り敢えず書いた、という感じで、こちらも聡明な質問ができたとは言い難い。勉強が手につかなくて、うだうだしていたら連絡が来た。二つ下の後輩が私と会いたがっているという旨の伝言で、飛び上がって喜んだ。騙されているのかもしれないが、騙されていたとしても嬉しい。すぐさまその子のLINEを聞いて、誘いの連絡を入れる。来週ご飯に行くことになった。他の子も誘っていいよ、とかいったほうがいいのかとも思ったが、取り敢えず今日はやめといた。私なら言われないほうが嬉しいだろうから。少なくとも今日のうちは。

夕方は買い物に出た。パンと野菜と豚ひきをスーパーで買って、帰りにファミマでメロンのアイスを買った。冷凍庫の冷却機能がびっくりするほど低いから、帰ってすぐに食べた。夕飯は野菜と豚ひきをケチャップで炒め合わせたのを、素麺にかけて食べた。味が薄くて辟易した。

いいことはいくつもあったのに、全然本が読み進められない。集中力が皆無で、一編読むのに二時間かかった。己に腹が立って仕方がない。こうやって一日を終えてしまうと、確かにあったいいことでさえ、何だか不吉な色合いをおびる。今朝祖母に電話をかけたのだって、あのまま父や祖父母が水に流されてしまったら、あまりに寝覚めが悪かったからではないのか。実際はそんなこと意識していなかったけど、後からやたらと性悪に脚色する。自己嫌悪は鉛の重さで体を動かなくする。しかし恐らく生理前だ。食欲も眠気も凄まじい。

色々なことがうまく出来なかった日には、多分もう二度と会えない友人たちのことを思い出す。三人順繰りに思い浮かべて、しっかり後悔して、しっかり落ち込む。時間が解決するものだろうか。時間が解決してくれたとしても、彼ら彼女らを、例えば人生の糧、などとは決して呼ぶまいと思う。当たり前か。

7/6

課題全部出す。授業は授業時間内に受ける

新研究資料・現代日本文学俳句編

岩波講座日本語をのぞきにいく

卒論 写生文運動との関連づけ諦める前にもう少し調べる(怒)(辛)

(※百閒を手放すことも考えて、15日までに方向性固める どうせ修論も書くんだからもう少し外側から攻めてもよし)

図書館に行く。取り敢えず行けば何かできる、億劫がらない

研究室に行ってあわよくば先輩と喋る。あわよくば…

二か月間頑張ってきた人に現時点で敵わないのは当然で、焦っても仕方がない。一番初めをおろそかにしない。

 

7/3

昨日の夜のバイト帰り、何だかすごく気分が良くて、雲は出ているがまあ一応晴れてるし、もう告白しちまおうかなと思って、金麦を買って川辺におりて、「飲み終わるまでに思いきれたら言っちまえ」と思いながらちびちび飲んでたら、数か月前に声を掛けてきたおじさんが前と全く同じに隣に座ってきて、前と全く同じに声を掛けられたので、半分残っていた金麦をその場で一気に飲み干して、そのまま直帰するのも危ないから適当な道を歩いて帰った。結局昨日も言えずじまいだった。

7/1

8時半ごろに起きる。パンと牛乳で朝飯を済ませて1限に出る。グループディスカッションが予告されていたためか、出席者が普段より10人くらい少なかった。私のグループは、盛り上がりはしなかったけれども、リモートのわりにまあまあ上手く話し合えた。喋りながら、カメラオフだと話しやすいなと考えていた。自分の外見とか見え方について非常に卑屈なところがある。これでも随分気にしなくなった方で、数年前まで友人の隣を歩くのも少し申し訳ないような気がしていた。しかしとにかく、自分が見られていないと思うと気持ちが随分楽で、普段より饒舌だった。

4限の授業の予習をしながら昼ご飯を食べる。葱油でそうめんを炒めて、酢と塩コショウで味を付けた。案外美味しくて驚いた。きちんと黒酢と中華麺を用意して焼そばにしたら、どれだけ美味しいだろうと思った。葱焼きそばはウー・ウェンさんのレシピだ。そうめんでも十分美味しかったけど、麺同士がくっついて食べにくいのと、フライパンに焦げ付いてあとから面倒くさい。それにしても酢の使いどころが分からなくて、全然なくならないので困る。

3限には一応出たが、本当に「一応」という感じで、オンライン授業で初めて居眠りしてしまった。授業が終わってからも暫く呆けていた。

夕飯を適当に済ませて、映画を見に行く。しそジュースを買いこんで、前から二列目真ん中あたりに座った。見たのは岩井澤健治の「音楽」という映画で、やたらめっぽうよかった。三十回くらい爆笑をこらえて、一回泣いた。帰り道、八時過ぎのうす暗いアーケードには人通りが少なくて、豪華な七夕飾りが寂しそうにしていた。写真を撮って帰った。

Spotifyのアカウントを随分前からフォローされていて、それ自体は承知していたけれど、聞いている音楽がリアルタイムでバレてしまうシステムについて知ったのはつい最近の事である。気づいた直後に文句を言って、この前二回目の文句を言ったら「じゃあそっちもフォローしたらおあいこじゃん」と言われて、売り言葉に買い言葉で、それならばとフォローしかえした。これが本当にいけなかった。PCでSpotifyを開くたび、相手が数時間前にフジファブリックを聴いていたこととか、今まさにマカロニえんぴつを聴いていることとかが、逐一表示されるのである。何というか、部屋の中でも覗いているような申し訳なさというか、いたたまれなさがある。この前会ってしゃべった時に、「twitterとかzenlyよりよほど個人情報だよな」という話をしたけれど、後から考えてみると、向こうは私より一年長く私の音楽履歴を目撃して来たのであって、その間一度もそんな話はしてこなかったのである。いったい何を考えているのか分からない。単に興味がないだけかもしれない。そう考えるとかなり癪で、少し寂しい。

 今日から七月である。泣きそうだ。どうにかこうにか頑張りたい。

 

6/30

ため込んでいた無力感が昨日ついにふくらみきって、爆発してちりぢりに散った。出さなきゃいけない課題が二つあったけれど、一つは遅れて提出して、一つは到頭出さなかった。高校生の頃、文学部進学を反対された時、「本とか文学をどうでもいいと、本質的に生活に必要のないものだと私がもし口にした時は、私という人間が終わったと考えてもらっていい」と泣き叫びながら母に訴えて、困らせたのを思い出す。そうだとしたら、私という人間はもう終わりかけているのかもしれないと思う。卒論のテーマも未だに決まっていないし、演習の準備も遅々たるものだし、何をやっても集中できないし、頑張れなくて、情けない。あーつらい、つらいなあと言いながら風呂場で前髪を切った。伸ばすつもりで放っていたのを、眉毛にかかるくらい短く切った。

折角髪も染めて、グレる決心もついたのに、いつまでもぐずぐず同じ場所にとどまっていて、進歩がない。結局いつもと同じような、切りそろえた前髪に安心する。そうめん茹でて食べている間ずっと、知らない他人への呪詛が脳内を渦巻いている。もうだめかもしれないと思って母親に電話を掛けた。「何もわからない」と100回くらい言って、むずがる子どもみたいに泣いた。例の通り「あんたよりダメな学生もいっぱいいる」とか「子どものころから賢かったんだから」とか、全然見当はずれの慰めが電話の向こうから沢山聞えて来たのに、いつもみたいに苛立たなくて、ああこうして自分勝手に泣きわめいても不審がらずに、無条件に慰めてくれる相手が必要だったと思い知った。勝手な話である。母の心配げな声を聞いていたら馬鹿らしくなってきて、「フリーターになるので覚悟しててください!」と言い捨てて電話を切った。あとから「Take it easy」のフレーズが、大袈裟なびっくりマークと一緒に届いていた。

もし仮に将来、自分に子どもがいたとして、私はきっと特別な言葉をそいつにかけてやる必要はない。ただ無条件に味方でいてやる。親と子どもは絶対他人で、気が合わなくても嫌われても嫌いになっても全然おかしくない。でも私はなるべくそいつの味方でいてやる。せめてそいつが泣いた時くらい、ちっとも驚かずに、見返りを求めずに、当たり前の顔して甘やかしてやる。そういうことを考える。

 

6/26②

バイトの昼休憩には近くのパン屋で二つパンを買って、公園のベンチに座って食べる。あまりに暑かったり寒かったり、あと雨が降った時なんかはコンビニでなにかしら見繕ってバイト先の食堂で食べる。しかし大体公園で食べる。食堂には社員さんもいて、知り合って三年にもなるのに未だに上手く話せない。私はバイト先に随分馴染んだけれど、バイト先は一向に私に馴染もうとしない。今日は少しだけ喋れてうれしかった。PCをペラペラのキャンバストートに突っ込んでいるのを見られて、「危なくない?」と言われたのだった。しかしともかく、大体公園で食べる。

以前まで二階建ての古いアパートがベンチを見下ろす形で建っていたのに、いつの間にかきれいさっぱり消えて、草っぱらが広がるばかりになった。玄関先にゴミが溜まっている部屋が幾つかあって、いつも全然人気がなかった。春が来るのと同時に溶けて、分解されて、土壌になったのかもしれなかった。そんなわけはないけれど。

そんなわけはないけれど、今日また久方ぶりに訪れたら、見覚えのない紫陽花が二株アパートの跡地に生えていて驚いた。紫陽花が一番好きだから、今までずっと見逃してきたなんてことはないと思うけれど。土でなければ、紫陽花に生まれ変わったのかもしれなかった。雨が足りないのか、薄紫が少し茶けて、母の下着を思い出させた。

こんな季節にパンなんて暑苦しいもの、やめておいた方が得策だけど、コンビニに行くのにわざわざ横断歩道を渡るのが癪で、結局いつもパンになるんだなあと、思いながらもそもそと食べた。食べ終わって、目の前のさるわたりの曲線があまりに寝心地よさそうだったから、周りにひとのいないのに乗じて、だらしなく寝転がった。さっきまで曇っていたはずなのに、急に太陽が出て来た。マスクを目まで引き上げてしのいだ。最近聴き始めたサニーデイサービスを何となくスマホから流していた。知らない曲を聴いている時というのは、いつもより時間の流れが遅くなるような気がする。圧縮されて閉じ込められた時間の中に、一瞬入るのかもしれなかった。よくあるタイムトラベルもので、あっちの世界で何年も生活したはずなのに、戻ってきたら五分しか経ってなくて驚く、みたいな。3曲分が一時間にも感じられた。遅れないようにバイト先に戻った。

夾竹桃の花は先に下から開くのだろうか、この前下をくぐった時は手に届きそうな場所に沢山咲いていたけど、今日見たら葉ばかりだった。向かいの歩道から、六月の遠慮がちな日を浴びてなお晴れがましい、万朶の白い花を見た。