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川を見ながら昼飯にのり弁を食べている女の人がいた。流れの真中には一羽の烏がいて、羽の間にたっぷり水を含ませてむくむく太っていた。何とかの行水というけれど、ああいう諺とか箴言とか、めったなことでは信用してはいけない。思考停止が一番怖い。

アカデミズムのアの字も知らないまま、学問に嫌気がさし始めている。濡れた烏の羽根の色とか、のり弁の女の人がコンビニから歩いてくる間に考えたこととか、ずっと後ろから聞こえてくる自転車の音、どうにか居心地のいい事ばかりに思いを寄せて居たいが、そういう訳にもいかない。何でだろう。

今こうしてWordとにらめっこする生活を、自分で選んだわけだけど、こんなふうにカンと晴れてすこぶる気持ちのいい日に部屋にいると、どうしてそれを選んだか、まるで思い出せなくなる。選んだ理由はあったはずだ。昔の私だって、それなりに信用のおけるやつだったわけで、だから次の一手を思いつくまでは、あいつのいう通りにしてみたい。それ以外のやり方がわからない。