12/21

今日は絶対に朝から漱石の『文学論』を読まなきゃいけない日だったのに、鬱々としてしまってできなかった。せっかく図書館に来たのに、30分くらいブラインド越しに窓の外を眺めて、1時間くらいtwitterを眺めた。情けなさだけでは年を越せないから、今年やったことを思い出す。

自分の文章を読んでもらいたいと思って、意識的に外に出した。書くという行為は、現在地を確認するための作業で、するすると逃げていく時間の流れを多少なり緩慢にするための儀式で、あとは単純に手慰み、本当は刺し子とかキルトとかやりたいけど、材料も時間も用意するのに気構えがいるから、その代わりのもっと気軽にできるやつ。書いた後に残る文章は、忘れっぽくて過去を美化しがちな自分の、すかすかな過去を補完するための材料、溜まった文字を見返せば、少しずつすり減っていくイメージをつき返して、段々増えていける気になりちょっとだけ安心する。どこまでも自分のために書いていて、それは今でも変わらないけど、どうせならもっとうまくなりたいと思った。書くことが自分の4分の1くらいを占めていて、上手く書けるようになったら、自分がもっと増える気がする。うまくなるには緊張感が必要で、読んでくれる誰かの顔を具体的に思い描かないといけない。4月の頃はみんな何かやらなきゃいけない使命感に駆られていて、かなり感化もされたから、新しいブログを開いて、twitterにリンクを貼った。あと、ODD ZINEという純文系のZINEが公募をかけていたので、短いやつを書いて、送った。知らない場所で、形あるモノとして誰かの目に触れるのは、ちょっといいなと思ったから。送ったメールに返信がきて、感想も書いてくれていたから、嬉しかった。

かなり感化されやすいから、今年はひとから勧められるままに、見たり聞いたり読んだりした。映画とか音楽とか漫画とか。高野文子に出会いなおせたのが大きい。どういうのが好きなのか、ちょっとずつ分かってきた。感じた怒りや悲しみを抑え込まないかわりに、アイデアの力でどうにか笑いに着地して、生き延びようとするしぶとさに、私は心底憧れる。

校正技能検定の初級と、学芸員の資格をとった。これは前から続けていたのが今年たまたま終わっただけだが、何はともあれ終わるには終わった。

自炊もちょっとだけできるようになった。得意料理ができたわけでは全くないが、やればできることだけは分かった。この先全部のレストランを出禁になっても、それなりに楽しく食べて暮らせる。二等親以内の相手だったら、ぎりぎり食べさせられる自信もついた。溜まる前に食器を洗う習慣がついた。

推しができた。頑張ったことに数えていいのかはわからないが、間違いなく2020年に立てた旗の中で一番ぴかぴかしている。今までだって好きなひとは沢山いたけど、憧れを超えた自己同一欲求が大きくて、あまり健康的でなかった。自分とは違うところを見るとがっかりしたり、あるいは逆にこっちから合わせていた。エビ中は、というか小林歌穂さんは、全然私じゃなくて、私も全然小林歌穂さんじゃない。もちろん言動に共感することはあるけど、すぐさま「私だ」と思うのではなく別個の人間として尊敬していて、見るたびに、あー好きだなあと思う。好きだと思える自分の気持ちに救われる。来たるべき時に推しは来るのである。

前より素直に人に話しかけられるようになった。新しい友達ができた1年では全くないから、友人それぞれとの時間が熟しただけかもしれない。人間関係に関して、なるべく受け身であること、ずっとそこにある石みたいでいることにアイデンティティすら覚えていたが、馬鹿らしくなってきた。10月ごろの打ち明け話(コから始まる二字熟語、語感が重すぎるのでもう使わない)で少しふっきれたものがある。内心は「喋りたい!会いたい!話しかけてほしい!」と地団駄踏んでいたのだが、どうやら私は石のふりが結構うまくて、全然伝わっていなかった。私が話しかけたり誘ったりすると気持ち悪いだろうな、みたいな方面の卑屈さを、取り敢えず3年以上付き合いのある友人に対しては、意識しないでよくなった。

6月頃に金髪にもした。髪の毛を染められるようになったのは、自分の中でかなり大きい。化粧も少し覚えた。見た目を変えたら中身も変わるけど、そもそも全く変わらずになんていられなくて、堰き止めようとする方が不自然だと気づいた。拾ったパーツの寄せ集めではなく、もっとこう、さらさら流れる水のイメージで。含み込んだり見送ったり、傾斜があればそちらに流れる。水のように生きるというのは、幸田露伴の受け売り。

とかく不健康に陥りやすいご時世で、却って健やかさを志向した今年だった。今、筆の癖で思わず反省に移ろうとしたけど、やめた。誰かから評価される代物ではないかもしれないが、確かに私の2020年には何本かの旗が立ったのだ。今から帰って、夕飯食って、残りの今日をなるべく全うする。昨日ようやく羽毛布団を出した。多分全部どうにかなる。