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早起きしようと思っていたのに目が覚めたら10時だった。すごく疲れる夢を見たけど、どういう夢だったかは忘れてしまった。四国の小さな島にあるデパートの「エンジェルブルー」にスニーカーを取り置いていて、それを手に入れるために同行者を大変待たせてしまったことだけ覚えている。同じフロアのファミレスでは高校の同級生が家族で誕生日パーティーを開いていて、店員への言付けを彼女に託そうかとも考えたけど、ほとんど7年ぶりの再会だったので、申し訳なくて言い出しにくくて、ずっともぞもぞしていた。そんな感じだった気がする。夢の中でまで小心者である。ちなみにエンジェルブルーは着たことがない。

たとえめかし込んだ日であっても、ポンポネットに売ってる中で一番地味な服が精いっぱいであったと思う。それだって嫌がる私を母親が無理に井筒屋の七階まで引っ張り上げて、「これはどう?」「これなら着られる?」と次から次に薦めてくるので、途中まで首をひねってごまかしていたけれど、店員さんまで「いかがですかー」と顔を出されるともう困ってしまって、とうとう最後に突き付けられたぎりぎり着られるラインのTシャツに「ああ…じゃあそれで…」と言って買ってもらったやつ、とかである。その浅い水色の、うつろな目つきのクマの絵が付いたTシャツが気に入ったわけでも何でもなくて、本当はふわふわブルーグレーのパーカーとか、黒地にレースがついたワンピースの方がずっと可愛いことくらい知っていたけど、しかしそれを自分が身に着けることは、プライドが決して許さなかった。あれはたしかにプライドだったはずだ。似合わないものを似合わないと知りながら着る度胸も、似合わせる努力をする術も持ち合わせていなかった。当時のことを考えると、自分に似合いそうな洋服を自分で選んで買えるようになっただけ、随分な進歩である。

最近洋服を買う時の私は極端で、五回着たら捨てられるものか、一生着られるもののいずれかしかもう、買いたくないと思うのである。一生着られるものを買える日はそうそうないので、最悪そのシーズンに五回着られればいいような、安価な大量生産品ばかりを購入して、その後2年も3年も着続けることになる。「ある年齢の時にしか着られない服」なんてのがあるのかも知れないけど、初めから4年か5年で着られなくなる物を、わざわざ買いたいとは思えない。ひらひらのスカートを見せながら「こんなの着られるの、今の内よ」とささやく母親に、中学高校時代の私はいつもすごく苛立っていた。今の内だろうが何だろうが、私は今着たい服が着たいのであって、その短いスカートは今着たい服ではないのだ。というのは半分建前で、私だって着られるもんなら堂々と着ていて、着られないから着ないのである、と泣きたい気持ちで腹を立てていた気がする。

服のことは昔からすごく好きだけど、長年の屈託があるのでなかなか素直な関係性を結べず、今でも少し困ることがある。