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妹と昼から出町座に行く。「音楽」を見るためだ。妹の方は1回目、私は2度目の鑑賞だった。私もあいつも大満足で劇場を後にした。店の前で余韻に浸ってしばらくほうけていたら、カメラを持った初老の男性に声をかけられる。「京アニのファンの方ですか」と聞かれたので、今朝見た京アニのツイートを思い出してピンときたけれど、どう答えればいいか分からない。「ああ、いや、それはそうなんですが、何も答えられないです…」「別にいいんですよ」「いやそうではなくて」「今日はそのために来たのではないので?」と言葉を継がれて、ようやく「そうですね」と答えた。何だかすごく悪いことをした気持ちで、商店街を出て行く男性を見送った。言われてみれば人の入りが多いような気もした。

腹が減ったので喫茶店に入る。私は宇治金時のかき氷を、妹はわらび餅やそばぼうろの乗ったパフェを注文して、さっき見た「音楽」の話をする。映画の感想を言い合うのは難しい。何をどう言っても陳腐に思えてくるのは、私に言葉が足りないからだと思う。それでもぽつぽつ喋ってて、結局「成長物語じゃなくてよかったね」という感想が一致した。妹は映画に感化されたのか、「夏休み、何しようかなあ」と考え始めたらしい。

このまま家に帰っても勉強できそうになかったので川に向かう。今も川辺に座ってこれを書いている。レポート卒論の書き方を説く本をぱらぱらめくりながら、今日のことは忘れてはいけないと思った。忘れていい日があるというわけではない。決してない。決してないけど、そのことをちゃんと思い出す日と、都合良く忘れる日とはある。

1年前に京都で沢山の人が死んだ。今日も有名な人が何人か死んだらしい。先日の大雨の後、らくだ色の水がなみなみと橋の下にみちて、下流に向けてごうごう流れていくのを見た。梅雨はそろそろ明けそうで、今日もすごく天気がいいけど、なぎ倒された水辺の植物はいまだ静かに横たわっている。かげろうみたいな羽の黒い虫がさっきから同じところをひょこひょこ飛び回っている。体が西日を反射して青く光る。

私は人が死ぬということをどう考えていいかまだ分かっていなくて、分かる日が来そうもない。悼む気持ちだけは百閒にならった。出来るだけ精細に正確に、沢山のことを思い出すということ。それだけである。

帰ったら岩波の講座本を読まないといけない。日が落ちるまでここで少し読んでから帰ろうと思う。