本のこと

こういう時だからきちんと言語化しなければならない。こういう時というのは、新型ウイルスが流行して、外に出ることがはばかられて、家にいても罪悪感がなくて、今日できなかったことも明日やればいいや、とそこまで落ち込まずに放り投げることができてしまうような、今である。流行前と今とで時間の流れ方が変わるはずもないのに、ものすごい膨大な猶予を与えられたような気になってしまう。じゃあ、余裕のなさに甘えて怠っていた言語化を、やるとしたらきっと今なのだ。そういうことを考えて、パソコンに向かっている。

ずっと物書きになりたかった。本を読むのが好きなのは小さいころからで、好きなのは本当だったけど、同時に、ああちょっと気は進まないが使い古された陳腐な言い回しをするなら「本を読むのが好きな自分」が好きだった。アイデンティティのよりどころ、というか、一つには、親とか先生とか友達とか、周りから「あの子は本を読むのが好きな子」と思われているかぎり、そういう風に振舞えばいいから、自分のキャラクターに悩まなくて楽だったし、一つには、読むということが苦痛じゃなくて、すいすいできて、気分がよかった。今私が生きているここだけじゃなくて、向こう側にもう一つ、居場所があるのが嬉しかった。あの時生きていたあの場所は、時々ひどく面倒くさくて、不本意な場所だったので。恥ずかしい思いを強いてくることも少しばかりあったので。

物書きになりたかったのは、恥ずかしながら、負けず嫌いが一番大きいと思う。読んでるうちに、「自分にもできるんじゃないか」と思えて来た。書いてみたら、何となく面白そうな文章が、あの時の自分からすればはやみねかおるとか松原秀行とかの文章とそん色のないものが、書けたような気がして、これまた気分が良かった。物書きという職業は、とても崇高で、尊敬されるべき、素晴らしいものであるように思えた。(書けば書くほど自分がつまらない人間だということが露呈して苦しい。しかし続ける)

中学くらいまでずっと、自分は物書きになるものだと考えていた。ノートに思いつきのかけらを集めて、至極満足していた。真夜中のテレビスタジオで黒柳徹子が後ろから脅かして来る、みたいのを書いた気がするし、歌詞もどきもいくつか書いてあった気がするし、中二の時、なんかこう居心地が悪くて、善悪の判断がつかなくて、苦しいなあと思ってモヤモヤしたものをそのままを書き付けた記憶もある。今となっては到底読み返せない代物ばかりだが、当時は自分が書き付けたものを見て、誇らしい気持ちになっていた。

高校に入って、「物書きになる」ということがあまり現実的でないように思われてきた。「物書き」という職業を将来の夢として標榜する、それは全然恥ずかしいことではないと思うけれども、自分がそれをするには、余りにも何も行動に移せていないと思った。周りの人たちは兎に角行動していて、私の目には物珍しいことをしていて、何だか生き生きしているように見えて、羨ましいなと思った。取り敢えず本好きの集まるイベントに応募した。応募すれば参加できるやつで、いとも簡単にエントリーできた。楽しかったな。同じ時期に、将来の目標を「編集者」ということにした。それでいて、心の中では「作家になるんだ」と思うことにした。人には言わずにおいて、時々取り出して眺めて、うっとりした。自分には他の人とは違う、崇高な目標があるのだと思えた。いつの間にか表が裏にしみとおって、心の中でも「編集者になりたいんだ」と思うようになった。眺めてうっとりしていたものは、本当に空高く飛んで行ってしまって、今はただ、夜空の星を指さして「あれは実は私のモノだった」と言って、昔の栄光をひきずってるみたいで情けないけど、やっぱり星を見ると、少し安心する。

「編集者になりたい」が先行していて、「なんで編集者になりたいか」は後から追いかけて来た。それらしい理由で無理やり追いつかせた。進路相談の時に都合がよかった。そういえば、進路相談は好きだった。成績はいい方だったので、怒られることもなかったし、先生が自分の事だけを考えてくれる時間、というのが嬉しかった。好きな先生がたくさんいた。

本が好きで、本をつくりたくて、でも書くんじゃなくて、お手伝いがしたい。というと少し傲慢に聞こえるから、「とにかく本に関わっていたいんです」ということにした。いかにも本好きの人が言いそうなことであるように思えた。それに、実際、本好きの人と働くのは、居心地がよさそうだった。変な人たちと出会いたいと思った。マイナークラブハウスの住人達とか、夢水清志郎とか、下鴨幽水荘の住人とか、ああいう人たちは実在していて、自分が頑張れば会えるんだと思っていた。大学もおおむねそういう理由で決めた。実際大勢、いすぎるくらいいたけど、会っても本の中の登場人物たちみたいに、突飛な言葉で話しかけたり、謎めいた発言で印象付けたり、仲良くなったり、出来なかったことの方が多い。でも変な友達がたくさんできたので、大学はやっぱり、ここに来てよかったと思う。まだサングラス長身の不健康な名探偵には会えてない。

変な人たちと喋ってみたい、面白そうだから、そういう理由で来て、そんなに成長もなく4回生になってしまった。でも一応、本とか言葉の事はいくらか、考えた。そうしないと、こうしてここにいる理由がないような気がしたし、それ以外に真面目に考えられそうなこともなかった。

最近直接人に会うより、zoomで話したり、電話をしたりすることの方が多い。繋がれるのは嬉しいが、なんかこう、自分がそういう気持ちになれないな、と思うことも多い。家で一人でいる状況は変わらなくて、場を共有しているときは会話モードに入れるんだけど、そうじゃないから、内省で、相手と本当に話そうという気概がこう、足りてないなあというか、何といえばいいか分からないけど、ああそう、切迫感だ、一度きりというプレッシャーが足りない気がする。融け切ったアイスみたいな、間の抜けた話しかできなくて嫌だ。オンラインで入ってくる情報も、手触りがなくて、何となく居心地が悪い。

その点本はいいなとおもった。オンライン上で公開されていく本もいいけど、今手の中に納まっている、実在の、紙製の本が、すごく落ち着く。オンラインはなんか、切りがなくて、途方に暮れる。全てのっぺりと同質の情報として受け取られてしまう。眼も疲れるし。

う~~~~~~こんなツマラナイ文章を。続きはまた。