12/19

数週間前まで「夫婦善哉」しか読んだことがなくて、それもあまりピンときていなかったくせに、ここ数日で織田作についていやに詳しくなってしまった。「放浪」「夫婦善哉」で確立した、地の文に方言の混じる文体、スピーディーで小気味よい進行は、元来彼が志していた戯曲の制作理論が大きく影響しているらしく、彼が西鶴をきちんと読んだのは「夫婦善哉」以降だということだ。これまでに読んだ中では「アド・バルーン」が好きだったかもしれない。明治40年代の大阪の夜店の、まどろみのうちに見るぼうっとした光のような、生と死と夢がこちゃまぜになるような、あやしい輝きにあこがれる。

発表原稿を明日の昼までに作らねばならない訳だが、昨日は12時過ぎに寝落ちてしまい、今日も朝こそ早く起きたがなかなか家を出られなかった。最近電機をつけっぱなしにしてうとうとすることが多いからか、寝る準備万端で部屋を真っ暗にするとかえって寝付けない体になりつつある。朝起きてから電気を消して、暗がりでごそごそと身支度をしている時が一番心落ち着く。すっかり倒錯状態だ。健やかな生活を。

今日はバイト先でクリスマス会がある。プログラムの最後にアルバイトの面子でアカペラをしなければならないらしく、しかも曲目は「ヤングマン」である。ヒデキだって、元号二つまたいでまで歌われると思っていたかどうか、怪しいところだ。

ああ、西城秀樹さくらももこもいない時代に生活しているなんて、ちょっと驚くべきことだ、という気がする。どうせ恥ずかしいことに変わりはないから、せめてヒデキに敬意を表して歌おうと思う。