8/3

学校の中庭で遅い昼食をとっていたら、雀が1羽近寄ってくる。周りに誰もいなかったから鮭おにぎりの米を一粒だけ近くに置くと急いでついばみ、それから2,3歩退いて黒い瞳でこちらを見る。嘴から半分米粒が出た状態で、飲み込もうとしないので、くちばしに引っ付いたのかもしれないと心配になったが、その後みたら無くなっていた。別の2羽がどこからか飛んできて、私の右側に50㎝間隔できれいに並ぶ。順番待ちされてもこれ以上あげる気はないのだと訴えても通じない。仕方なく、人目とほかの鳥目をしのんでパン屑を足許に落とす。いかにも偶然食べている途中で落ちたのだというふうに落とす。二羽が争うようにして食べ、出遅れた一羽が困っていたので、そちらにも小さめの屑を落とす。残りは急いで口に詰め、慌ててその場を立ち去った。こういう無責任な奴がいるから沢山鳥が集まって、それで鳥が嫌いな人とか、大学施設側の人とかが対処に困ったりするだろう。悪いことをしたかもしれない。そういう人たちと妙に馴れ馴れしい雀のこと、あるいはこれからとたった今のこと、どちらを大事にすべきなのか咄嗟に判断できない。だけどもし今日誰かが見ていたら、良識ある人間の顔をして、雀にはなるべく目を向けずにおにぎりもパンも一人で食べて、その場を立ち去っていたんだろう。大変きたないと思う。

7/28

最近スマホを見ている時間がすごく長くなった。書きたい文章に全然着手できていない。インプットをしている(と思い込んでいる)うちはアウトプットをサボれるので、読んだり見たり聞いたりが過剰になる。そうして終わりどころが見つからない。よくない兆候だと思う。意志で何かを遂行したことがないので、無理にやめようと思ってやめられるものでもなく、どうにか気分をおびき寄せねばならない。朝一番にtwitter見るのをやめるとなんか一日いい感じ、というジンクスにもなっていないジンクスがあるのだが、明日はそれだけ頑張りたい。朝一番にtwitter見てしまう癖、三年前のインターネットずれしていなかった自分が呆れて泣いている。

あまり見ていて楽しいタイムラインでもないのだ。友人たちが試合観戦の興奮を伝えるツイート、今日の東京の感染者数を知らせるリツイート、一方的にフォローしている医療従事者が現況の厳しさを嘆くツイート、オリンピックに関係ない企業のツイート、それら全ての複合体はあちこちから手を伸ばして私の身体を引裂こうとする。実のところ、私に危害を加えようとする人物もいなければ、引裂かれる身体も持っていないのに。誰のものだかわからない辛さが生活の底を流れ続ける。

伊集院光の馬鹿力を聞いていたら東京五輪観戦について言及があったが、私は至極もっともだと思った。「手のひら返し」などと揶揄するけれど、スポーツを楽しむ、楽しみたいという態度と、五輪開催への政治的意見とは別のステージの問題で、メダルだって喜びたい人全員喜んでいいじゃんか。かといって、開催にずっと反対していて五輪の試合を見たくない人というのもいて当然で、その人たちにアスリートへのリスペクトどうこうを説くのは全くのお門違いである。自分の中である程度整理はついているつもりだけど、いざTLをスクロールしてみると、均質な外見をした長方形たち、壁一枚隔てて全然温度が違うので、行きつ戻りつしていると何やらめまいがしてくる(ここまで書いて、健康の為にさすがに努力した方がいい気もしてきた)。大きな溝が自分の足許に近づいて来ている感覚。

ちょっと落ち込んでいる風にして今日の怠惰を正当化したいが、単に面倒くさくて何もしなかっただけである。書留郵便が届く手はずになっていて、夕方になってもなかなか来ないので家から出られなかった。そのことで母親に電話して、ついでにワクチン接種券の転送を頼んだが、あまり芳しい返事が得られなかった。私の生殺与奪の権は私一人に握られるものであって、などとどこかの鬼殺隊員みたいなことを言いそうになったが、思い直してなるべく穏便に電話を切った。自分が悪いと思っていないときでも、家族、ひいては血縁者と上手くいっていない時は大体全部上手くいかない。胸の圧迫感も心なしか強まってきて、まとわりつくもやもやを早めに取っ払ってしまいたい。嫌な事ばかりじゃなかったよ、「私と村」、いつでも思い出して元気になる。描かれるモチーフどうしの関係性や出来事やその順序をあれこれ想像することはできるけど、キャンバスにはどこから見るのが正解とかないから、物語に還元されきらないところがいいんだなと思う。

7/16

とっくに日付は変わってしまったけれども、松野莉奈さんの誕生日である7月16日に安本彩花さんがエビ中としての活動を再開して、同時に6人が出ているTHE FIRST TAKEの動画がアップロードされた。最初の画面には5人の姿が映っていて、少し遅れてやっさんが入ってくる。5人が「おかえり!」と声を掛けたら、やっさんが「ただいま!」と笑顔で返す。劇的でも湿っぽくもなくて、めっぽう明るい再会がこの人たちらしいと思う。

各々ウォーミングアップをしながらヘッドホンをつけて、互いに顔を見合わせる時の表情もまた、らしいなあという感じで嬉しい。始終にやにやしているぽーさんと莉子ちゃん、ちょっと緊張しているまやま、気合十分、燃える瞳の柏木さん。美怜ちゃんはなんか、ずっと観音様みたいな顔してた。5人に囲まれて晴れ晴れとした顔の安本さん。

静かなピアノアレンジの「なないろ」は、彼女たちのこれまでとこれからを祝福するのにぴったりの選曲だった。みんなめちゃくちゃコンディションよくて、特に年上組の歌声が圧巻だった。かほりこは姉貴たちの胸を借りて、安心しきって歌っている感じがした(莉子ちゃんの縦方向の手の動きをファーストテイクで見られるとは!)。

去年のオンライン学芸会はもちろん最高だったけど、やっさんの本格的な復帰ライブということもあって、何だか危うさも孕んでいたように思う。彼女が治療に入ったあとの5人でのライブは、日を追うごとにどんどんよくなって、新メンバー加入日の無観客ライブなんか特に、エビ中の集大成といってよかった。だからこそその中に安本彩花がいないのがどうしても淋しかった。MOVEが終わった後、メンバーが次々にInstagramの投稿をアップして、「この6人でよかった」「6人最後を迎えられた」と感極まったコメント、数字はきちんと6だけど、画面に表示される写真にはどう数えても5人しかいなくて、安本彩花はこういう投稿をどういう気持ちで見るんだろうと、勝手に彼女の胸中を思った。ちゃんと「6人」のパフォーマンスを見ることが出来てすごく嬉しいし、これで本当に安心して、これからに進むエビ中を応援できるようになった気がする。

歌だけでこんなにも感動するのに、普段のこの人たちは全身で踊って、ステージ上を駆け巡って、ファンサまでやってのけるのである。それってめちゃくちゃすごいことじゃないか、と改めて気づく。好きになってから1年と少ししか経っていないけど、まやまがいう所の「第二章」にぎりぎり立ち会えたこと、「第三章」の始まりを見届けられることがこんなにも嬉しい。巡り会えてよかったな。最後の「緊張した!」の一言でこちらの糸もゆるんで、メンバーや他のファミリーと一緒に手を繋いではしゃいだ。エビ中を見ていると完全に毒気を抜かれてしまう。明後日くらいまで普段よりいい人でいると思う。

 

7/9

バイト先から学校に向かう途中で急に雨が降り始めた。後ろから来た自転車は前のカゴからスムーズに折りたたみ傘を取り出し、前から来た人は傘がないようだったけど、取り立てて焦る様子もなく、平気な顔して歩いている。最近は変な天気が続くから、皆慣れっこになっているようである。かくいう私は毎日傘を持ち歩くことにしているから、今日もまた濡れずに済む。ラッキーでも何でもなく、ちょっとズルをしている気分になることの方が多い。

自転車に乗るようになってから、歩くのがかなり億劫になった。どこへでも徒歩で向かってやると息巻いていたあの頃が遠い。文明の利器は確かに人を退化させる。今朝も本当は早歩きすれば間に合ったんだけど、面倒くさいからバスに乗った。自分が乗りこむ停留所の次が大学の最寄になっていて、いつも学生でぎゅう詰めである。彼等はすぐに下りて行きバスはすっからかんになるが、私の下りるバス停はその次なのである。息つく暇もなく230円を払ってころがり出る。こんなに空しい230円の使い道もなかなかない。早く梅雨が明ければいいと思う。

昨日きゅうりの水漬けを仕込んだ。にんにくがかなりきついが、ポリポリしておやつにちょうどいい。早く帰って御飯にしたいと思いながら、読みかけの論文をほったらかして、この日記を書いている。

7/5

先週の水曜から今日まで連日バイト続きで、といっても全部半日足らずのなんちゃって出勤なんだけど、それでもやっぱり、ちょっと疲れた。12時に職場を後にして歩いて学校に向かうはずが、気づいたらカレー屋の大きなテーブルに座っていて、ぼんやりとグリーンカレーを食べていた。DiDiのカレーはホールスパイスが沢山入っていて、ダルカレーのほかは全部すごく辛い。毎回ちょっと涙が出るくらいで、向かいに人がいる時などは結構いたたまれなくなるが、今日はひとりだったので存分に泣いた。ちょうど食べ終わる頃に雨がざあざあ降り始めて、何も考えずに暫く外を眺めた。10分くらいで止んだから、お金を払って店を出た。月に一度行くくらいで、常連でも上客でもないが、私にとっては一時避難所みたいな場所である。テーブルには小さな花が飾ってあって、入り口の上の方にはかわいいお面が並んでいる。ボサノバや民俗音楽が似合いそうな店内に、ハードロックが控えめにかかっている。

7/2

私のすべては未踏の地にのみある

アスファルトに逃げ込んだ影が殺したくて、いくら走っても縮まらない 背後をつけ狙うプロペラが今、襟足を切り裂き首筋に噛みつく、そら今、仰げ!

潜水艦は姿を消して、エンジン音だけが震えている 流出源はひかりと同じ どの指で触れば痛まずに済むか、ふさがる前に突き止めなければ 突き止めたならば、

「99%炭酸カルシウムから成る本機体はきわめて自然にやさしく人の体に無害です」 唾棄

知ることで足りる場合と何もかも失われる場合と、早いとこ教えてほしかったのですが、いけませんでした 

 

 

 

 

6/25

全部本当になるとはつまり、口にしたり書いたりしたことがたとえ事実と違っていても、声として、あるいは文章として生を受けたという事実が新たに生まれて、またそれらは事実をまるきり改変してしまうような実行力をもちうるということ。そういう嘘と本当と、どちらに本質的な価値があるとか、ないとか、簡単には言えないと思う。ということ。

生協ショップでおやつにクリームパンを買った。正確には「しあわせ届けるクリームパン」夕張メロン味である。ひとから好きな食べ物の話を聞いて、出かけた先で見かけるとついつい買ってしまう。一度や二度ではなくて、もしかしたらそいつが飽きてからもずっと、覚えている限りは選び取る。「しあわせ届けるクリームパン」も、妹が前に言っていたやつである。大体のものは美味しく食べられるし、今何が食べたいか探り当てるセンサーも性能低めなので、そういう動機がないと選べないというのもある。「しあわせ届けるクリームパン」はとても美味しいし、好きだけど、何回買って食べたとしても「あの時妹が言っていたクリームパン」で、決して私のものにならない。百閒は「森見登美彦が好きなひと」だし、森見登美彦は「中学の時にそよちゃんから教えてもらったひと」で、BUMP OF CHICKENは「コーラス部の友達が歌っていたバンド」だ。引っ掛かったのは私のフックなんだけど、そういうふうに始まったものはどこまで行っても「あの子が教えてくれたやつ」だという気がする。そんなこと言い始めたら他人と関わりなく存在する事物などあるはずないでしょう、あーいやそうかもしれないけど。「これは私だけのもの」といえるものがあるなら、何だろうなと考える。