6/7

少々微熱があるらしい。多分疲れから来るもので、大したことはないと思いたいが経過を見る。明日は一日部屋で過ごす。

つらくて長い3連勤かと思いきや、別のバイトを入れているのを忘れていて、結局4連勤だった。春から社会人をやっている友人らのことを思えば、ようよう弱音も吐けないけれど、私にしては結構大変な数日間だった。達成感よりも虚脱感が残る。いつどこにいても「本当にここにいていいものか」とうっすら思い続けている。かといってほかにどこに行けばいいのかもわからない。

最近は、大きな気持ちの変動があった時、外的要因であれ生理的なものであれ、とにかくその日を記録することにしている。今日がちょうどそういう日だから、スマートフォンのヘルスケアアプリを立ち上げて、気分の変化にマークを入れる。前の記録を遡ると、この2カ月は大体3週間おきに「ちょっと無理」な日が来ているらしい。確実に外からの影響で落ち込んでいる日もあるからそう信用できるデータではないが、でもこう、そういう周期に入っているから余計に落ち込むのかもしれないし、何となく予測がつくので安心感がある。ちょっと前の私なら、自分の感情をこういう処理のしかたを毛嫌いしていたと思うし、というか今も、正面から向き合っていない感じがして罪悪感は否めない。それでも今のところは、元気でいられる時間が長くなるほうを選びたいと思って、こうしている。なるべく乾いた方を志向する。

上京した友人に用もなくLINEを送ったが、既読がつかないので少し心配している。私のLINEがあまりにかったるくて無視しているのなら、まあ多少落ち込みはするけれど、でもそれなら全然いい。他の返したい連絡は返せているだろうか。家のまわりに好きな定食屋は見つかったろうか。最近目覚めはどうだろう。長い夜をまた、一人でやり過ごそうとしているんだろうか。文面にすると重すぎるから、大事なことを全然聞けない。聞けても多分、何の役にも立たない。

心配の体をとってはいるが、介入できない私一人の勝手な寂しさである。こんなに思っているのに、なんて。既読がつかなくなったまま会えなくなったやつが3人いて、全員私にはとても大事な人だったから、何度も何度も後悔してたら、洗濯したり牛乳を飲んだりするのと同じになってしまった。つらいときにはよく思い出せて、それはそれでどうかと思う。会えなくなるのは悲しいことだ。会わなくなるのと訳が違う。

何だかどんどん落ち込んできた。予定外である。

ついでだから最近の心配全部書き出したほうがいい。毎日お金が減っていく。喫茶店に行き過ぎる。プラごみがいつまで経っても出せない。段ボールも時間までに出せない。最近よく短い信号を無視してしまう。アウトプットが全然出来ていない。かと思えば本も何だか読めなくなってきている。バイトが沢山入っているためである。週2で行けばいいバイトと週3で行けばいいバイト、かけ持つと週5になるのだということに最近ようやく気が付いた。空いた時間に図書館に行こうと思うが家でもできてしまうので行かない。結局家ではやらないことの方が多い。時間がどんどん過ぎて行く。できていたことがどんどんできなくなっていく気がする。新しくできるようになったこともあるけど、それで折角褒められても「褒めてくれるこの人はいい人だ」というのと、「こんないい人によくしてもらって、申し訳ない」という気持ちばかりで、嬉しくなれない自分が嫌になる。できるようになったことを喜べないから、それ以上何もできる様にならないんだと思う。花をすぐに枯らしてしまう。あまり野菜をとれていない。色んな振り込みが滞っている。親に優しくすることができない。シーツが全然洗えていない。部屋が少しずつ散らかっていく。授業の予習が全然できない。皆どんどん先を行く。私ばかりが劣っている。つらい。

6/5

バイト先の美術館で新しい展示が始まるので、今日はその準備を色々した。久しぶりにとりとりもした。とりとりというのは何かというと、面倒くさいので説明は省く。私の指は適度な水分と指紋のおかげかどんなチラシもよく吸いつくため非常にとりとりに向いている。とりとりしたチラシを封入するための袋を開けるのも得意である。本当はこれだけを生業にしたい。

色々あって浴衣を着せてもらったのだが、その浴衣というのが赤地に白い水玉で、更には帯がつやつやの黄色なのである。誰がどう見ても並行世界のミニーマウスだったろう。自分では選ばない色だったから気恥しさもあったけど、きっと似合うと言われてあてがわれたものだったから、それよりずっと嬉しかった。3時間くらいほとんど立ちどおしで疲れた。明日と明後日も7時間労働。三日に一日休みたい身にはヘビーである。生き延びたい。

 

6/3

擦りむいた左の手のひらと右膝が痛くて5時くらいに目が覚め、今。自転車に乗るのもだいぶ慣れて、通勤通学路以外の道も走ってみることが多くなってきた。余裕が出てきた瞬間てきめんにこけまくる。昨日は車道から歩道へと段差を上がろうとして失敗した。三日前も、立ち漕ぎしてる人かっこいいなーと思って練習してたら案の定バランスを崩して、大通りから一本入った誰もいない道の真ん中で倒れて、その時は左手を擦った。何かをしくじる時の直前には、態勢を崩してからしくじりに至るまでの0.5秒間で、「こりゃダメかも」という予感と、「やっぱダメだ」という諦念が一時に駆け抜ける。自転車じゃなくても、お湯を盛大にこぼすとか、スマホをとり落とすとか。事が起きる瞬間には、既に事は起き始めていると知っていて、だから案外慌てない。東山仁王門の交差点近くで「やっぱダメか」と思いながら一人で立ち上がって、泣きもしなかった。ただバイト先に着いてから、皮の剥けた手のひらを多少見せびらかして回った。

借りた救急箱を漁っていると「大人になってから転ぶの怖くないですか」と聞かれて、考えてみたけどそうでもない。学習能力が落ちているのか、こけると悲しいということも治る度に忘れてしまう。痛いのはとても嫌いだし、今も眠りを阻まれたことにむかついてはいるけど、地面に投げ出される直前の、何が起こるかわからない不安定な世界に足を踏み入れるあの感じが、むしろ少し好きだなと思う。

去年の今頃に比べたら好奇心の働きが随分回復したと思う。正体不明の水たまりに、やたらめったら手を浸してまわりたい。ブレーキを緩めて坂を下る。バイト先へのメールに不要な挨拶をつけ加えてみる。新しいことに挑戦したいというか、転ぶ前のあの0.5秒に取りつかれている。

とはいえ目の前に人がいると途端に気が小さくなる。型にはまったコミュニケーションは大変楽で、楽してもそれなりのやった感があるし、そう簡単に外に出る気にはなれない。出たら出たで、復路は往路よりずっと険しいから後が面倒くさい。傷つくのも傷つけるのも挽回するには時間がかかる。でも、「これを言ったらどういう顔するだろう」と気になる気持ちはちゃんと知っているつもりだし、気になったそばから口に出てしまうような、欲望の要請に応える素直な身体、みたいなものにすごく惹かれる。ただ私は結局のところ長生きがしたい。いざという時に備えて心拍の節約をしてしまう。

物語は他者と出会わないと展開しないし進まない、みたいなことを椎名うみの対談記事で読んだ気がする。それは漫画のストーリーの話だったけど、実際の生活にも多分同じことは言える。ただそこでいう他者は別に、遠くの国にいてもとっくに死んでいても紙の上にいてもいい、犬でも猫でもカラスでもいい、ときには動物じゃないかもしれなくて山でも川でも石でもコピー機でもいい、正しさの順番なんか誰にもつけさせない、我々のいのちは他人に消費させるエンターテインメントではない……などと考えている時に星野源の「不思議」のMVを見たので妙な納得感があった。擦過傷って何度もいいたい。さっかしょう。サッカショウ。

5/25

ただへこむのも癪なので、『「分かりやすい話し方」の技術』という本を読んだ。おしゃべりというよりはスピーチやプレゼンなど「ビジネスパーソン」向けの話し方の本で、要約すれば、

・構造化しろ
・出来るだけ簡単に構造化しろ
・メモによってビジュアライズするがよし
・不要な情報は省け
・映像的なパートを挟むと具体的になる

ということだったと思う。なんだいそんなの知ってるよ!ケ!と唾吐きそうになるのを必死に抑え、鵜呑みにしようと試みる。意識してるかと言えば別だし。話してる途中で注釈を施すくせがあるなあと思い当たった。聞きにくい訳だ。

何しろ、本当に伝えたいことがあるときにはゴールに至るまでの一本道を見定めてから話し始めた方がいいらしい。でも普段のおしゃべりで話題がどこに着地するかなんてわからなくない?それはだからさ、普段から大事だと思ったことは、こうして一応言葉にして記録しておくこと。

5/24

問われたその場で自分の位置を捉えて正しく表明しないといけないから、すごく不利だと感じてしまう。そらでものを考えることも、考えたことを覚えているのも苦手で、だから書いてなきゃいけないはずなのに結局サボってしまう。自分ひとりの小さな生活を守ることは随分うまくなったけれど、そこから飛び出て誰かと話をしようとすると、伝えるべきことが何もなくて途方に暮れる。何もないはずはないだろ、取り敢えず入り口辺りに落ちてる言葉をひっつかんで渡して、それを「私」ということにする。それしかできなくなっている。軽口をたたいて来たツケが回ってきたんだろうし、だけどどこか他人事みたいに、喋っている間ずっと、不利だな、と考える。

不利とか有利とか、そもそも相手とのコミュニケーションを将棋か何かだと思っている。いつ誰とでも、というわけではない。話しているうちに、段段勝負のようになってくる時がある。次の一手で必ず刺す、今受けた攻撃はきれいに急所に入ったけど、大丈夫、まだ勝ち筋は残っている。こういうゲームはたまになら楽しいけど、相手から高い評価を得たい、一目置かれたい、みたいな思惑がある時は、選ぶ言葉も間違えがちで、ただただつらい。結局負けるし。負けるって何だよ。一緒につくるものでしょう、会話って。

勝負みたいな会話しかできない相手がいる。向こうは多分そんなつもりないんだろうけど、私はいつも「挑まれた」と思って身構える。銃を取ろうとして、目線は外さず、背後の武器庫を手探りする。ねばついた油が指につく。全然手入れが出来ていないのだ。使えそうなのはプラスチック製の空気銃だけで、仕方がないから威嚇射撃。ポスンと気の抜けた音がする。相手が少し悲しそうな顔をする。「こいつは敵じゃなかった」という顔で、労いにかわいらしいピンポン玉を投げてよこす。こっちで遊ぼうということなんだろう。私はそれをはたいて地面で割る。また悲しそうな顔をする。期待した自分が悪かったみたいな顔。それなら初めから挑まないでほしい。ひとりでいるのはつくづく楽だと思う。

昨晩、急に呼び出されて3人で山に登った。深く満足して家に帰ろうとしたら、別れ際、脇腹を深く刺された。刺されたなどというのはこちら側の印象、妄想に過ぎず、要は痛いところをつかれたのだ。ぐうの音も出ない。夜が明けた今も妄想上の血が流れ続けていて、ベッドから動けない。単なる寝不足、筋肉痛というのもある。

5/19

5/16(日)

もぎりのバイトへ。レジの扱いにはかなり慣れて、人が来ないと本当に暇である。企画展の最終日だったけれど、小雨のせいか来館はそれほど多くなかった。午後から一緒にブースに入った同僚のお姉さまと歓談。地元の受験事情の話題から今の話になって、「いや~、親にとっちゃ留年しないほうがよかったんでしょうけどね」と頭をかいてたら「親にとってはずっと子どもなんだから、甘えてもらった方が嬉しいのよ!」と熱心に励ましてくれて、そういう子育てをしてきた人なんだろうなと思った。帰りがけ本屋に寄ったら店頭でフリーマーケットをやっていて、お皿を一枚貰った。本当は50円の値札がついていたけど、手に取って見ていたら、お店の人が「もう全然持って行ってください」というのでありがたく頂いた。上から見ると菊の形をした平皿でとても気に入っている。帰りがけに大きいスーパーに寄って、新しいフライパンを買った。さんざん悩んで卵焼き用の小さいフライパンも手に入れた。パン屋に寄ってバイトしてる後輩に目配せして帰った。

5/17(月)

1限の卒論演習に出ながら少し崩し字を復習する。かなり読めなくなっていてよくない。翌日のゼミのために『風の歌を聴け』が必要で、午後からのバイトの前に本屋に行こうと思って、外に出る。近道しようと思って適当に歩いていたら、同じ道に3回くらい出て、頭が変になりそうだった。雨こそ降らないがとびきり湿度の高い日だったので 、ただでさえ頼りないコンパスが完全にきかなかった。太陽も見えなかったし。

やっとのことで本屋に着いたけど、肝心の本は置いていない。向かいの古本屋にもなくて、観念して図書館で借りることにする。サイゼリヤでラグーパスタを食べながら間違い探しをする。8つ見付けたが残り2つがどうしてもわからない。前によくこうしてサークルの先輩と一緒にサイゼの間違い探しをしたなあと思う。公務員志望のその先輩とは、サークルを引退してしまえばあまり共通の話題がなくて、時間を埋めるように間違い探しに目を落として、だけど私はその人がすごく好きだし、結構好かれていた自負がある。過去形にするのは悲しいか。1年以上も会っていなくて寂しい。

2週間ぶりのバイトで少々気負って向かったが「この前の続きよろしくね」と言われたきり特別な挨拶もなかったので、拍子抜け。終わってから大学の図書館に寄って『風の歌~』を借りて帰った。日はとっくに落ちていて、何だか必要以上に暗い。建物すべてがずっしりと水を含んで、今にもこちらに倒れ掛かってきそうだったので、怖くなって急いで帰った。夜に友人とビデオ電話をして、元気が出た。

5/18(火)

午前中は昼からのゼミに向けて資料を読むなどしていた。お八つ時にゼミが終わって、先週の「大豆田とわ子と三人の元夫」を見返す。もちろん21時からの放送に向けた復習である。「大豆田とわ子」は毎回テレビで一度見て、tverでもう一度見るけど、この夜見た放送だけはもう見返せないかもしれない。久々に声を上げて泣いた。

5/19(水)

バイト終わり、ドアを開けたら小雨。出口のすぐ横で一つ年上のバイトの人が雨宿りをしながら携帯を見ていて、「もう梅雨ですってね」と声をかけたら、「嫌ですねえ」と返ってきた。まともに話したことはないけど、この日は何だか少し喋りたいような、下手したら腕を組んで一緒に帰りたいような気持がした。最近すごく他人に近づいてみたい気持ちがする。

3限の授業に出てから髪を切りに行く。行きがけ、交差点近くの花壇のふちに上半身裸の人が座っていて、おじさんかおばさんかよくわからなかったけど、「そんなんしとったら風邪ひかん?」って話しかけたかった。実際は2m離れたところを通り過ぎてしまった。少し高い声で何かつぶやき続けていたけど、内容は聞き取れなかった。美容師さんには今までにないくらい話しかけた。カラーがないぶん短く済むことがわかっていて、気楽だったというのもある。めちゃくちゃ虫が嫌いらしいと知った。

歩いて出町座に行き「まともじゃないのは君も一緒」を見た。シナリオというよりは、掛け合いの妙とか、登場人物の仕草、呼吸、視線の演技を楽しむ映画だったように思う。キャラクターものは連作で見る方が好きかも知れない。