7/26

昨日は明け方まで上手く寝付けなくて、4回くらい起き上がっては横になってを繰り返した末、6時にようやく上手く眠れて9時半に起きた。10時半から美容室を予約していたので、20分で支度して家を出る。3号系統のバスの車内は、土曜の午前にしては人が少なくて、お年寄りは相変わらず多かった。

店について傘と荷物を預ける。少し早くついてしまったので5分くらい待って、それから一番奥の席に案内された。一か月前にドキンパツにしてくれた人と同じ方に頼んでいた。確か1年くらい前から店長を任されているとあって、やっぱりすごく上手く切ってくれる気がする。「いい感じに色が抜けてきましたね」と言われて、「実は暗い色にしなくちゃいけなくて」と伝えたら少し残念そうな声で「そうですか」と言われた。色はあれこれ迷った結果、ベージュブラウンの6にした。1か月くらいは暗い茶色がもつらしい。色が抜けると赤っぽくなる色とか、ピンクっぽくなる色も勧められたが、遠慮した。美容師側からすると、ちょっと責めた髪型とか髪色とかの方が面白いのだろうか。客側の私には関係ないかもしれないが、できることなら期待に添いたい気持ちはある。

美容室ではいつも振る舞いに困る。近頃更に目が悪くなってきたので、髪を切ってもらいながら雑誌の細かい文字を読むことは出来なくて、写真だけ適当に眺めていたらすぐに一冊めくり終わる。スマホにしても同様で、切ってもらいながら見るようなものもない。かといって美容師さんと話がはずむわけでもない。ああいう場ではどっちから、どういう内容で話しかけるものなのか。この1年ずっと鏡に映る自分を見ながらだんまりを決め込む客として振舞ってきたので、店全体に「こいつは無口なやつだ」と思われている節があり、美容師さんの方からはあまり話を振ってもらえない。振ってもらうことがあっても、美容師さんとはどういう距離感で話すべきものなのかと困ってしまって、面白い話が全くできない。こういうところで考えすぎるのが自分の悪い癖である。結局また、髪の毛の話をするほかは鏡に映り込む他のお客さんやら時計やらをきょろきょろ眺めて、落ち着かないそぶりで静かにしていた。

二つ隣の席は女の人で、さっきから担当の美容師さんと楽しそうに雑談している。少しハスキーなやわらかい声に聞き覚えがあって、横目で見たら知り合いなので驚く。数か月前までバイト先で働いていたMさんだった。今までずっとどこにいるかわからず気になっていたのが、丁度前の日に所在がわかったという連絡が先輩からあって(これは兎に角先輩がやたらするどい話だった)、二人して喜んでいたところだった。御都合主義的なタイミングの良さと、久々に顔を拝見できた嬉しさとで、何だか訳がわからなくなって、それまでずっと黙っていたのを突然ぺちゃくちゃ喋り出す客になってしまった。美容師さんは「ハア…妹さんが、髪をオレンジにしたい、いいですね…」と面食らい顔で相槌を打ってくれた。

美容室で声をかけられるのは嫌かもしれないとか、そもそも前の職場のバイトに見つかるのはどうなんだろうとか、この時ばかりはいつもみたいなネガティブ思考を全部置き去りにして、カットとカラーの合間の待ち時間に席を立って、Mさんの後ろから鏡をのぞきこむ。何ぶん髪色も髪型も前とはずいぶん変わっていたから、数秒ぽかんとした間が空いた後、「ああ!」と驚いた顔をされた。しどろもどろになっていたので何を話したかよく思い出せないが、きょとんとしている担当の美容師さんに「前の職場で一緒に働いていて」と紹介されたのがすごく嬉しかったのだけ、はっきり覚えている。

Mさんの方が先に終わって、私の席まで来てくれた。先輩の伝言もちゃんと伝えて安心しきっていたところ、連絡先を交換してくれるというのでまたひとしきり慌てた。「また落ち着いたら、いずれ」と言って帰っていく姿を目で追いながら、何だかすごくほっとした。気が付いたらカラーが終わっていて、半端なヤンキーじみた風貌が、るきさんの友達のえっちゃんみたくなっていた。嬉しくて帰る途中、色んな鏡に顔を写した。

自分にとっては突然いなくなったと思ったひとでも、当人にとっては突然いなくなったつもりがないことは当然あって、自分の中では途切れてしまったその人の生活も、知らないところでそれまで通りに(かどうかは分からないけど)続いていて、突然笑顔で再会できることもある。Mさんに会えた喜びはもちろんだけど、それだけじゃなくて、こういうケースもあるんだよと示してもらえたことが、私にとってはものすごい希望である。私の知らないところで続いていくすべての生活が、明るく健やかであれと祈る。祈ってもよいかもしれない、と思う。

 

7/22

早起きしようと思っていたのに目が覚めたら10時だった。すごく疲れる夢を見たけど、どういう夢だったかは忘れてしまった。四国の小さな島にあるデパートの「エンジェルブルー」にスニーカーを取り置いていて、それを手に入れるために同行者を大変待たせてしまったことだけ覚えている。同じフロアのファミレスでは高校の同級生が家族で誕生日パーティーを開いていて、店員への言付けを彼女に託そうかとも考えたけど、ほとんど7年ぶりの再会だったので、申し訳なくて言い出しにくくて、ずっともぞもぞしていた。そんな感じだった気がする。夢の中でまで小心者である。ちなみにエンジェルブルーは着たことがない。

たとえめかし込んだ日であっても、ポンポネットに売ってる中で一番地味な服が精いっぱいであったと思う。それだって嫌がる私を母親が無理に井筒屋の七階まで引っ張り上げて、「これはどう?」「これなら着られる?」と次から次に薦めてくるので、途中まで首をひねってごまかしていたけれど、店員さんまで「いかがですかー」と顔を出されるともう困ってしまって、とうとう最後に突き付けられたぎりぎり着られるラインのTシャツに「ああ…じゃあそれで…」と言って買ってもらったやつ、とかである。その浅い水色の、うつろな目つきのクマの絵が付いたTシャツが気に入ったわけでも何でもなくて、本当はふわふわブルーグレーのパーカーとか、黒地にレースがついたワンピースの方がずっと可愛いことくらい知っていたけど、しかしそれを自分が身に着けることは、プライドが決して許さなかった。あれはたしかにプライドだったはずだ。似合わないものを似合わないと知りながら着る度胸も、似合わせる努力をする術も持ち合わせていなかった。当時のことを考えると、自分に似合いそうな洋服を自分で選んで買えるようになっただけ、随分な進歩である。

最近洋服を買う時の私は極端で、五回着たら捨てられるものか、一生着られるもののいずれかしかもう、買いたくないと思うのである。一生着られるものを買える日はそうそうないので、最悪そのシーズンに五回着られればいいような、安価な大量生産品ばかりを購入して、その後2年も3年も着続けることになる。「ある年齢の時にしか着られない服」なんてのがあるのかも知れないけど、初めから4年か5年で着られなくなる物を、わざわざ買いたいとは思えない。ひらひらのスカートを見せながら「こんなの着られるの、今の内よ」とささやく母親に、中学高校時代の私はいつもすごく苛立っていた。今の内だろうが何だろうが、私は今着たい服が着たいのであって、その短いスカートは今着たい服ではないのだ。というのは半分建前で、私だって着られるもんなら堂々と着ていて、着られないから着ないのである、と泣きたい気持ちで腹を立てていた気がする。

服のことは昔からすごく好きだけど、長年の屈託があるのでなかなか素直な関係性を結べず、今でも少し困ることがある。

 

7/20

電気をつけたまま寝てしまっていて、今日は九時過ぎに目が覚めた。風呂に入って皿を洗って、さて勉強だと思ったけれど、なかなか手につかないので学校に行く。久々に引っ張り出して緑のマキシスカート、ダブルガーゼがしわくちゃになっていて辟易した。

図書館は一応自習できることになっているが、使える座席は限られていて、長くても二時間で退館しろという。言われるまでもなく、二時間経たないうちに集中が切れる。朝からパンとミニトマト4つとおにぎり一つしか食べていなかったので、生協ショップで蒸しパンとジャスミン茶を買った。店を出ると後輩が屋外のテーブルで勉強しているのに遭遇し、ぎこちなく労うなどする。後でパピコがものすごく食べたくなって、彼に半分あげるつもりで買ってしまおうかと思ったが、数か月ぶりの距離感ではない気がしたので、やめた。

蒸しパンを食べてから論文をコピーして、再び図書館に戻る。前期末の時期なので人がやや多い。座席が見つからなかったら帰ろうと思ったが、生憎見つかってしまったのでしぶしぶ座りに行く。写生文関連の論文をニ三本読んで、藤村をほんの少しだけ読んだところでまた落ち着かなくなり、五時前に図書館を出た。いつからこんなに集中が持たなくなったかしらんと訝しく思う。

帰宅途中、人通りの少ない道を中村佳穂を口ずさみながら歩いていたら、前から来る原付が目の前で小さく円を描くように回って、こっちに人差し指を向けながら走り去った。指をさされるようなことをしていた自覚はなく、そもそも一連の行為がどういう意味だったのかもよくわからないが、少なくともあまりいい感じはしなくて、ひどく落ち込んでしまった。とっさに傘でも振り上げて「なんのこっちゃ!」と怒って見せればよかったかもしれない。五感が脳まで達するのがとても遅くて、脊髄反射も人より発達していない(小6の頃、さっきまで火にかけて卵焼きを作っていたフライパンを洗おうとして柄に指がかかり、とっさに手放せなかったせいで結構な火傷をした。その夏の水泳の授業は全部見学して、それから一度もプールに入ったことがない)ので、とっさに怒ったり喜んだりということが難しい。

買い物をして帰りたかったがエコバッグを持っていなかったので諦めて、家に帰って適当に飯を済ます。昨日二合炊いた米がもうなくなった。落ち込んでいたのでエビ中negiccoの対バン映像を見て、BEYOOOOONDSもちょっと見て、ああこのままだと勉強しないぞと思って風呂を挟んで、本を開いて、どうも読めなくて、これを書いている。卒業できるか本当に不安になってきた。将来の見通しが立たないということがこれほど不安なものかと今更気づく。ここに至るまで、直感に任せて行き当たりばったりで生きて来たような気がしていたが、親や先生のお膳立てがあったおかげでどうにかなってきたのだと改めて思い知る。しかしどちらにせよ、そろそろ自分で決めねばならないのは本当だと思う。それにしても、誰かと長話がしたい。つくづく!

全然関係ないけれど、今年の学園祭はどうなるのだろうか。風呂に入っている時にちょっと思いついたことがあるから、ぜひとも開催してほしいけれど。

7/18

妹と昼から出町座に行く。「音楽」を見るためだ。妹の方は1回目、私は2度目の鑑賞だった。私もあいつも大満足で劇場を後にした。店の前で余韻に浸ってしばらくほうけていたら、カメラを持った初老の男性に声をかけられる。「京アニのファンの方ですか」と聞かれたので、今朝見た京アニのツイートを思い出してピンときたけれど、どう答えればいいか分からない。「ああ、いや、それはそうなんですが、何も答えられないです…」「別にいいんですよ」「いやそうではなくて」「今日はそのために来たのではないので?」と言葉を継がれて、ようやく「そうですね」と答えた。何だかすごく悪いことをした気持ちで、商店街を出て行く男性を見送った。言われてみれば人の入りが多いような気もした。

腹が減ったので喫茶店に入る。私は宇治金時のかき氷を、妹はわらび餅やそばぼうろの乗ったパフェを注文して、さっき見た「音楽」の話をする。映画の感想を言い合うのは難しい。何をどう言っても陳腐に思えてくるのは、私に言葉が足りないからだと思う。それでもぽつぽつ喋ってて、結局「成長物語じゃなくてよかったね」という感想が一致した。妹は映画に感化されたのか、「夏休み、何しようかなあ」と考え始めたらしい。

このまま家に帰っても勉強できそうになかったので川に向かう。今も川辺に座ってこれを書いている。レポート卒論の書き方を説く本をぱらぱらめくりながら、今日のことは忘れてはいけないと思った。忘れていい日があるというわけではない。決してない。決してないけど、そのことをちゃんと思い出す日と、都合良く忘れる日とはある。

1年前に京都で沢山の人が死んだ。今日も有名な人が何人か死んだらしい。先日の大雨の後、らくだ色の水がなみなみと橋の下にみちて、下流に向けてごうごう流れていくのを見た。梅雨はそろそろ明けそうで、今日もすごく天気がいいけど、なぎ倒された水辺の植物はいまだ静かに横たわっている。かげろうみたいな羽の黒い虫がさっきから同じところをひょこひょこ飛び回っている。体が西日を反射して青く光る。

私は人が死ぬということをどう考えていいかまだ分かっていなくて、分かる日が来そうもない。悼む気持ちだけは百閒にならった。出来るだけ精細に正確に、沢山のことを思い出すということ。それだけである。

帰ったら岩波の講座本を読まないといけない。日が落ちるまでここで少し読んでから帰ろうと思う。

7/14

二か月振りに使うリュックサックを携えて図書館に向かう。サイドポケットをまさぐったら石が出て来た。三角錐を上から押しつぶしたような形で、ちょうど拳に収まるよいサイズである。触るとすべすべして少し温い。三角錐の一面が内側にへこんでいて、手のひらの肉を柔らかく受け止める。

今年の二月に友人と天橋立までドライブをして、その時に拾ったものだったと思う。あの日は朝から不穏な曇り空だったのに、目的地に着いたとたんカーンと晴れた。立っている看板やすれ違うカップルや、ひょこひょこ跳ねる鶺鴒なんかを冷やかしながら、松並木を四人並んで歩いた。私はどうにも気恥しくなって、時々わざとスキップをして、三メートルくらい先を歩いた。天橋立の後に有馬温泉に向かい、一枚くらい写真を撮ろうということになったけど、見返すと全員ぎこちない笑い顔で、ピースのひとつもない。飲み会の席などで互いの痴態は喜んで撮るくせに、いざ記念写真を残そうとすると全然うまくいかない。この日撮ったのは結局4枚くらいだったと思う。

祖母の仕送りが相変わらずものすごい量で、一人じゃ到底食べ切れない。インスタントの皿うどんは具だくさんで結構おいしいけど、かといって立て続けに毎日食べたいものでもない。誰かにあげようかと思った時に、かれらの顔を思い出した。きっと気軽に「要る」とか「要らない」とか返事が返ってくるだろうと知りながら、何となく連絡することができない。

天橋立のはしっこに、私は多分一番乗りして、振り返って残りの三人を見た。あの光景を写真に撮っておけばよかったと今になって思う。石を拾ったことについては、あながち間違っていなかったと思う。灰色の底に薄い青が透き通っていて、色んなことを思い出す。近頃は友人のことばかり考えている。

7/13

友人がいる。高校時代の同級生である。もう一人友人がいる。大学の同期である。ふたりは多分魂が似ている。単純に音楽の趣味とか読む漫画とか、ふとした時の言動が似ているっていうのもあるけど、何かそれ以上に、魂が似ている、とはたから見ていて思う。どうにかして引き合わせてみたいような気がするが、彼女らには「私」以外に接点がないから、高校同期の方がこっちに旅行に来た時無理やり会わせるようなことがない限り、多分一生出会うことはない。会ったらすごく意気投合すると思うけど、どっちも初対面は得意なくせに、本当に友達になるのにはちょっと時間がかかるから、本当に意気投合するまで何回も私がお節介を焼かないといけないかもしれない。もしそれが彼女らの本当の幸福であるなら、私はそのくらいやるべきだとと思う。そう思うくらい、お前なんかが何を知っていると言われるかもしれないけど、でもやっぱり魂が似ている。気がする。

でも私は多分そういうことをしない。気恥しいし面倒くさいから。というのは建前で、本当に意気投合されるのが怖いのだ。彼女らの魂の輪郭がぴたりと合わされば、そこに私の入る隙はもうないから。もし彼女らを会わせるとしたら、多分アジカンとか星野源とか羊文学とか、好きなバンドの話から始めるのがいいと思う。それから好きな漫画とかアニメの話、小さい頃何を見て何を読んできたかを緩やかに交換して、お互いの素性が大体分かってきたところで、店を出て皆でデルタに向う。私は飲みなおすためのお酒(きっと二人ともラガービールを所望するだろう、勿論私も)を買ってきて、またしばらく歓談する。そういう夜が2回か3回あれば、後はきっと放っておいても大丈夫だ。だけど私は多分、それをしない。

彼女らが好きな音楽やアニメは、私もまた好きなものだ。いつも大体困ったように笑っていて、時々妙にすっとぼけたことを言う。集団行動は得意じゃないくせに、責任感で盛り上げようとする。普段の言動はまるきりひねくれているくせに、大事な場面では恥ずかしくなるくらい真っすぐで、そういうのは全部、私が居合わせたかったし、共感したかった。心底私は彼女らみたいな魂の持ち主になりたかった。

時間はかかるかもしれないけど、彼女らはきっとうまくいく。うまくいかれると困るから、淋しいから、私が彼女らを積極的に会わせようとすることはない。高校同期は大学院から京都に来ることを考えている。いつか二人はどこかで出会うのかもしれないと思う。なんせ、魂が似ているから。

7/9

昨晩出町座に「銀河鉄道の夜」を見に行った。本当は七夕の夜に見に行きたかったけれど、どうせ人が多いだろうと思ってやめた。上映前、店内でスタッフの方とお客さんが立ち話をしていて、本を眺めるふりをしてこっそり聞き耳を立てていたら、案の定一昨日は満席だったらしい。今日でナイター上映が最後だから、また少し増えるんだと思う。昨日突然思い立ってよかった。あの映画を見た後は夜空を見上げながら帰りたい。

宮沢賢治にファンレターを書いたことがある。小学四年生の頃だった。学習塾の国語の授業で書かされたんだったと思う。何を書いたかはまるきり忘れた。だけど他にも、学校のパソコンの授業でも宮沢賢治の調べものをした覚えがあるし、よほど入れ込んでいたらしい。初めて写真を見たとき、坊主頭にくりくりのつぶらな目が、当時思ってたのと違ったらしくて、ちょっとがっかりした。全く失礼な話である。

今になっても思い入れがあるかと言えば、そこまででもなくて、あの頃読んだ作品のこともほとんど忘れてしまった。一番好きだったはずの「銀河鉄道の夜」にしたって、鳥捕りがどういう風に胡散臭かったかとか、鉄道の窓から具体的に何が見えたかとか、ロクに覚えてなかったけれど、カンパネルラが見ている黒曜石の星見表の冷たくぬれた裏面とか、がらんとした駅構内とか、断片的なイメージは脳裏にしっかり焼き付いている。映画を見ている間中、自分の頭の中の景色とスクリーンがぐるぐる混ざり合って、途中から夢だか現だか分からなくなってしまった。背景の油絵は、輪郭線が描かれないので全体にぼんやりとして、淋しい色合いをしている。知らない街の知らない風景に、底の知れない時間の堆積を感じる。上映時間の何倍も、何十倍も長い時間を画面で伝える映画は、いい映画だと思う。鳥捕りが鷺を袋から取り出してカンパネルラとジョバンニに分け与える場面があって、ジョバンニが貰った足をかりりとかみ砕くシーンでようやく「ああ、これは他人が作った映画だ」と理解した(原作では確か、チョコレート菓子みたいだとかなんとか書かれていたはずだったけど、この未知にして不可知の食べ物について、私はこの十年の間、相当想像をたくましくしてきた。黄色い鷺の足は身体からぽきりととれるけど、そいつを二つに割くと、干したあんずみたいににちゃりとして、中もやっぱり透き通った茶色をしている。チョコに近いけど、もっと果実らしい甘みがあるのだ…...)。映画で目にしたイメージがまた、私の景色に組み込まれていく。

何も知らずにはしゃいだりはりきったりしてみせるジョバンニと、それが無理だと知っていながら、落ち着き払ってうなずくばかりのカンパネルラが、鏡みたいな目で見つめ合って、向かい合わせで座っている。ひとの気持ちも知らないで、「僕たちどこまでも一緒に行こうね」と上ずった調子で繰り返すジョバンニに、私は今までずっとどこかで苛々してきたのだった。今私は、どちらかと言えば、カンパネルラに腹を立てている。